2 – 夜の学校へ

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コンクリート、瓦、色とりどりの屋根を走り抜け、飛び越えて、私は駆ける。フルールが待つ、夜の学校を目指して。

魔法少女へと姿を変えた私の青い髪がなびいて、スカートは風に舞う。

フルール、何があったの?
お願い、無事でいて。

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目的地の校舎に到着したとき。
既にそこは、闇のエナジーで満たされていた。

「……な、何これ……」

ざわり、と鳥肌が立つ。

闇のエナジー。

それは、一言で言えば 『破壊』や『呪詛』の意志を悪意で黒く染めあげたエネルギーだ。
視覚的には、黒い炎のように見えることもあるし、濃霧のように見えることもある。

物質化するほどに濃縮された、憎悪と怨嗟。
万物を死や消滅に導く、破壊の呪詛。

創造を司る神々の光のエナジーや、回復や癒しを司る人々の愛のエナジーとは対極に存在する力。それが、闇のエナジーと呼ばれる力。

この世界は破壊と創造を繰り返すことで成り立っているのだから、破壊の力、それそのものは悪ではない。けれど、破壊の力を悪意で染め上げてしまえば、それは命ある者達に破滅をもたらす邪悪の力と化してしまう。

そんな闇のエナジーで満たされてしまった、夜の校舎。

既にそこは、この世界の一画に生まれた限定的な魔界と言ってもいいかもしれない。

妖精フルールと契約し、魔法少女としてこれまで幾度も信じられないような怪異を目の当たりにしてきたけれど、今回のこれは規格外のシロモノだ。

暗黒の城と化してしまった学舎を前に、私はゴクリと唾を飲み込んだ。

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本来なら、決して足を踏み入れていい領域じゃない。
もしいつものようにフルールが私の傍らにいたら、彼は身体を張ってでも私がそこへ侵入することを阻むだろう。

勇気と無謀は違うと、顔を真っ赤にして怒るだろう。

けれど。そのフルールは、今、その魔の領域の中にいる。

「……待っていて、フルール。すぐに、行くから」

意を決して私は校門の柵を跳び越え、闇に飲み込まれた校舎へと飛び込んでいく。

真っ暗で、先生も生徒もいない、夜の学校。

ただでさえ不気味で無機質な場所が、闇のエナジーによって満たされたことで、暗黒の魔宮に造り変えられてしまっている。

呼び出されたのは、三年二組の教室。
私の教室。

そこは、私がいつも授業を受けている、友達や先生との思い出に満ちた大切な場所。

カッ カッ カッ カッ カッ カッ カッ カッ カッ !

無人の世界と化した校舎に響く、疾駆の残響。
圧倒的な不安と恐怖の感情を蹴り飛ばすように、踏み込む足に、蹴り出す足に、意志の力を込める。

廊下を走り抜け、そのまま一気に階段を駆け上がる。
小さく感じるフルールの気配を、一心に見上げながら。

フルールのエナジーは、一つの場所から動かない。
それにしても、この学校全体に充満した強力な闇の力は、いったい……。

異様な、良くない予感が胸に広がっていく。

いつもならフルールの方でも私の気配を感知して、何らかの呼びかけがあるのに。それがないということは、まさか……?

次々と浮かび上がってくる悪い想像を振り払うべく、私はいっそうの力で蹴り駆ける。

目的の三年二組の教室は、もう目の前。

ドアをスライドさせると、夏休みで使われていない机や椅子の、乾いた匂いがむっと漂ってくる。

同時に、全身の肌で感じる激しい闇の力。

この教室は、特に濃い暗黒のエナジーで満たされている事を理解する。

目に映るのは教室の一番前、黒板の中央でぼんやりと光る何か。

そこに、妖精の男の子フルールが、手足を磔にされていた。

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「……フルール…?」

黒板の一部が、ぬめったピンク色に変色している。

おそらくは魔法の力で肉の壁のようになっていて、そこから生えた触手みたいな何かで四肢が絡みとられるようにして、フルールが拘束されているのだ。

身体は傷だらけ。
頭と手足から血を垂らし、服はあちこちが赤く染まり破れてしまっている。
目を閉じたまま、ぐったりとした様子で力無く頭を垂れていて……

思わず叫ぶような声で、私は大切な相棒に呼びかけた。

「…な、なにがあったの? フルール! ……フルールッ!?」

 

 

いったい彼の身に何が起きたのか。

私は唇を噛んだ。

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すぐにでも彼に駆け寄って無事かどうかを確認したい。

けれども、私は教室に足を踏み入れることに躊躇せざるを得なかった。

 

ないのだ。あるべきものが。

生徒が使う机と椅子が、ない。
黒板の前に、教壇が残されているだけ。

 

まるで大掃除か何かの際に、教室から生徒たちが使う机と椅子を全て出してしまったかのよう。

 

だけど、夏休みの前にそのような大がかりな掃除をした覚えはない。夏休み中に教室の机や椅子を新調するなんてお知らせもなかったはずだ。

 

異変はそれだけじゃない。

教室の窓ガラスが全て無惨に割れてしまっている。

もしも。
何者かが、机と椅子を全て窓から放り出してしまったのなら、そういうこともあるかもしれない。

 

……いや。
きっとそうなのだろう。

フルールを捕らえた何者かが、それをおこなったのだ。

その証拠に、窓から入ってくるはずの夜風がいっさい肌に感じられない。

 

それに。
夏の夜なのだから、本来なら校庭周辺の木々から虫の鳴き声が少なからず聞こえてくるはず。

 

なのにそれもない。

窓の外からは、完全に無風と無音の状態が保たれている。

「……これは……」

いったい、何が起きているのか。

私はゴクリと生唾を飲んだ。

緊張で四肢が強張っているのを自覚する。

おそらくは……。

何らかの力で、教室の外と中の空気が完全に遮断されているのだ。

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明らかに異常な状態の、校舎と教室。

けれど。

教室の中に入らないことには、捕らわれたフルールを救うことができない。

意を決して教室の中へと足を踏み入れた、その時。

「……ユキ…か…!? ……き、来ちゃダメだ……っ!」

磔にされながらも、私に向かってフルールが呻いた。

「…フルール…」

良かった。ひどい傷を負ってはいるけれど、それでも生きている。
生きていてくれた。

とても無事といえる様子じゃないけれど、最悪の予想は回避されたのだ。

「一体何があったの、フルールッ」

彼の生存に安堵しつつも、捕らわれた姿を前にして嫌な予感が確信に変わる。

おそらく、先ほどのメッセージは敵の罠だったのだ。

闇のエナジーで作ったフィールドへ、私を、魔法少女をおびき寄せるための罠。

『聖戦士』型である私にとって、この教室全体に充満した闇のエナジーの中で戦うのはあらゆる面で不利。

この状況を作るべく、敵はパトロール中だったフルールを捕まえて誘拐し、策略を仕組んだのだ。

なんて卑怯。
なんて狡猾。

許せない気持ちで、いっぱいになった。

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「……ユキ、逃げるんだ……! 先のフェアリーパウダーのメッセージは、敵の罠だ! 逃げてくれ!!」

そう叫ぶフルールに、私はつとめて明るく、そして優しく笑いかける。

「大丈夫だよ、フルール」

心配なんてしなくていい。

「こんなひどいことをした犯人なんてすぐにやっつけちゃうから。いっしょに帰ろう」

「ダメだユキ、逃げるんだ! 逃げろっ!」

全身ケガだらけの姿で拘束されているにもかかわらず、『助けて』ではなく『逃げて』と叫び続けるフルール。

「…僕の事はもういいから! …諦めろ!…早く逃げるんだ!!」

その姿は、悲痛そのもの。

私は胸が締めつけられるような思いになる。

フルール、いったい何をそんなに脅えているの?

「何言っているの? あなたをこのままにしておけるわけないでしょ?」

「駄目だ! 逃げてくれ! お願いだ、お願いだから……っ!」

私の知っているフルールは、大きな魔物達との戦いにも臆することのない知恵と勇気を宿した妖精の少年だ。

小さな勇者と言ってもいいくらい。

そんな彼を、ここまで脅えさせる敵とは、いったい……。

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その時。

びりびりと空気が震え。ガタガタと教室の机を揺らしつつ。

ゲラゲラと。
教室いっぱいに、大きな、低い笑い声が響きわたった。

周囲を睨んで、警戒する。

「誰? 姿を現しなさい!」

私はしっかりと構えて、光のエナジーを手足に行き渡らせた。

武器に頼らず純粋にエナジーと身体だけで戦うのが、魔法少女ユキの戦いのスタイル。

近接戦闘力と防御力に特化した『聖戦士』型。

それが、魔法少女としての私の特性。

私に空手や柔道のような格闘技の経験はないけれど、初めて変身したときから戦うことはできた。

敵を前にしてどう対処すればいいのか、どう体を動かせばいいのかを、不思議と理解し実践できたのだ。

フルールに言わせると、変身中は歴代の魔法少女達の経験の一部が肉体と精神に宿る、ということらしい。

『魔法少女としてのユキの適性は、かなりのものだよ』

今までは幾度となく褒めてくれたのに。

なのに今、私の相棒の少年は泣きながら戦おうとする私をとがめる。

「退くんだ、ユキ! この敵は、今まで君が戦ってきたようなヤツじゃない!」

「……大丈夫……! 大丈夫だから!!」

フルールの懸念は理解しているつもりだ。

妖精の魔法のサポートがない状態で戦うことは、さすがに初めて。

おそらく最大の問題は、戦いの決着のつけ方だろう。

今までは、私が戦って弱らせた敵をフルールの魔法 『魔封じの小瓶』 で封印することで決着させてきたのだけど、今のようにフルールが敵に拘束されている状態ではそれが叶わないのだ。

けれど。

そんな問題。知るもんか。

この敵は、フルールを誘拐して痛めつけた卑怯なヤツ。ぜったい、許さない。

動けなくなるまで、殴って、蹴って、投げ飛ばしてやるんだから。

徹底的に、痛めつけてやる!

「出てきなさい! 卑怯者!!」

再び見えざる敵に呼びかける私。

時間にして十数秒。じっと、纏わりつくような沈黙があった。
夏の夜は蒸し暑くて、コスチュームの中に汗が沁みていく。

高まる緊張。
教室の中いっぱいに、充満していく敵のエナジー。

……来る。

訪れる戦慄。

バリバリとほとばしる黒い閃光の中から現れたのは、全身に黒い鎧を纏った魔人だった。

 

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