5-劣勢

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教室の黒板の上、壁にかけられた時計の針が示すのは、午後8時10分。

教室に私が足を踏み入れてから、30分。

それだけの時間が経過したことを、教室の時計は告げていた。

夜とはいえ、季節は夏。
暑い。熱帯夜、と言っていいくらい。

汗の匂いが、教室に満ちはじめている。
ぼたぼたと、私の体から流れ落ちる汗。

けれど、それは暑さだけによるものではない。

「……はーっ……はーっ……はぁーーっ……」

荒い息を吐きながらも、私は少しでも消耗を抑えるべく呼吸の調子を整えようとする。しかし、目の前の敵はそれを容易に許すほど甘くはない。

巨体の敵が振るう、漆黒の大剣。

息つく間もなく、必死にガードする私。

「くぅっ!」

……ガキィン……ッ……、…ガキィイン……ッ

重低音で響き渡る、鉄を打ち鳴らすような衝撃音が。
聖衣によって守られる私の両腕に響き渡る。

魔人が振るう魔剣の打ち込みを、辛うじて魔法少女の防具、聖なる手甲の部分でガードするも、そのたびに確実に体力と気力が削られていく。

「あぐ! うぐ……っ! あぅううううっ!!」

打ち込まれるたびにバリバリと黒い火花を散らす暗黒の剣。

魔法少女をも殺しうる、闇のエナジーを宿した黒鉄の刃。

その打ち込みを、光り輝く聖なる手甲で幾度もはじき返す私。

責める魔人と、耐える私のせめぎあい。

魔剣の斬撃をも跳ね返す、『聖衣』と呼ばれる聖戦士型の魔法少女のコスチューム。

その頼もしさは言葉にできないほどのものだ。

けれど、聖衣が守る私の体は確実に消耗しつつある。

闇のフィールドの中で悠々と振舞いつつも、感嘆してみせる魔人。

「さすがは、聖戦士型の魔法少女。さすがは聖衣。まさに鉄壁の守りだな。わが魔剣を、幾度となく弾き返すとは」

よどみのない口調で、言葉を続ける。

「神々の加護を受けし聖なる戦士。魔法少女ユキ。やはり、闇の眷属が振るう力では、そう簡単に討ち果たせるものではないらしい」

けれど。その言葉とは裏腹に、口調は余裕そのもの。

それはそうだ。

その魔人の前で、私はガクガクと揺れる膝で必死に身体を支え、かろうじて立っている有様なのだから。

戦いが始まって20分弱。その殆どの時間が、防戦一方だった。

無理もない。

闇のエナジーで満たされた、夜の教室。
愛のエナジーで戦う、聖戦士型の魔法少女にとっては最悪のアウェイ。

墨が溶けたような汚水の中で戦っているような錯覚を覚えるほど。

本来の力の半分も出すことができない状況。

さらに精神的にも圧迫されている。

相棒の妖精フルールは拘束され、家族や友人を人質に取られている状況では、なかなか思い切った戦いができない。

渾身の力を込めた一撃を叩き込みたいところではあるけれど、それを防がれてしまった後の事を考えると、どうしても攻撃に迷いが生じてしまうのだ。

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「くく。どうした、魔法少女。俺は、貴様の力量を称えているのだぞ? 正直、これほどまで粘るとは思っていなかった」

軽口を叩く魔人を前に、私は唇を噛む。
……せめて。フルールを人質に取られていなければ。

普段の戦いであれば、フルールの魔法の援護があるのに。

遠距離からの炎の矢。
目くらましの閃光。
ダメージの回復。
攻撃力や防御力の強化。

いくらだって劣勢を覆す展開が期待できるのに。

そんな私の心を読み取ったかのように、魔人が笑う。

「くくく 、どうだ。相棒があのザマではやりづらかろう?」

余裕の口調で、悠々と剣を振るう。

自身に有利な状況を作った上での戦いに、この魔人は昂揚と愉悦を感じているのだろう。

リラックスした構えからの、流れるように無駄のない斬撃。

予備動作がほとんどないがゆえに、かわす事は容易ではない。

―― そして、ついに。

ブン、と低く風を切る音と共に放たれた下段の薙ぎ払いが私を捕らえた。

ガッ!

「……あうっ」

どうにか回避したつもりだったけれど、反応がわずかに遅れ、ブーツの踵を弾かれるような形になってしまう。

空中でバランスを崩した私は、床に転倒する。

どぉっ、と肘と頭から打ちつけられて。
夏休みの間にすっかり埃がたまってしまった教室の床に這う形になり、汗まみれの頬に張り付いた汚れに思わず不快の声を洩らす。

「くぅっ」

急いで起きあがろうとするけれど、そんな決定的な隙を逃す魔人ではない。

突如、電流のように下半身から駆け抜ける激痛。

踏まれたのだ。うつぶせに這う状態で足首の裏、踵の付け根の急所を。

「……あっ……がぁあっ……はっ……」

反射的な痛みで転げようとしたけれど、巨体の魔人に足首を踏まれていては、それすらも叶わない。

足首の骨と腱が軋む苦痛。
喘ぐ私を踏みにじりながら、魔人が勝ち誇る。

「勝負あり、だ。魔法少女」

その言葉とともに、魔剣の先端で首筋を撫でられて。

「…………っ!?」

さすがに首の急所に冷たい刃を当たられた状態では、無茶はできない。

私は完全に、動きを封じられてしまった。

「ああっ、ユキ、ユキィーーーッ」

フルールの悲鳴が、耳に痛い。

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「魔法少女よ。妖精と契約したお前達は確かに手強い」

地に伏した私に対し、魔人が評価を示す。

「特に、貴様のような『聖戦士』型は厄介だ」

暗黒の鎧ごしに響く、くぐもった声。

「我ら魔族をも討ち果たす超人的なパワーとスピード。そして、脅威的な防御力とタフネス。この俺を相手に、ここまで戦える者などそうはおらん」

口では相手の力量を認めつつも。

それはそれ、これはこれ、とばかりに、魔人は床の上で動けない私の背中に渾身の振り下ろしを叩き込む。

ガシィィイイイイイイィイン……ッ

夜の教室に、一際大きく響き渡る衝撃音。

「……うぐぅ……あぁああううううううっ」

背中に走るダメージに、私は大きくのけぞり、苦悶して痙攣した。

ガクガクと身体が強張り、震える。

「あぐぁ……ああっ、ああうあう、あぉおおおおお……」

背中を守る聖衣が魔剣を弾き返しても、その下は生身の肉体だ。
耐え難い痛苦によって、頭が真っ白になりかける。

そんな私の頭上から響く、魔人の笑い声。

「なによりも、この身体を守るこの聖衣が厄介だ。我が魔剣の斬撃をも弾く、神々の加護。並の魔族では、髪の毛ほどの傷もつけることがかなうまい」

そう言いながら、魔人は私の足首を踏みつけていた脚の力をゆるませる。

一瞬、私は苦痛から解放された。

( え!?)

わずかだけど、一縷の望み。
おそらくは、勝利を手中に収めたつもりの魔人の油断によるものだろう。

(…今、なら…!)

床に転がりながらも、なんとか反撃のチャンスを掴もうと図る私。
けれど、その脇腹に、魔人のつま先がめり込む。

ゲシィ……ッ!

足蹴にされたのだ、と理解するよりも早く、お腹に打ち込まれた重く響く痛みで意識を塗りつぶされる。

「あ、あうっ……ぁあっ、……あがっ」

無意識のうちに腕で顔と脇腹を守ろうとするけれど、あいにく人間の腕は二本しかない。ほとんど無防備な状態だったみぞおちのあたりに、ふたたび魔人の足蹴りが打ち込まれる。

ドボォッ!!

聖衣の下で、ギシリと軋む私の体。

「……げぁ……っ!?」

一瞬、何が起きたかわからないまま、呼吸が止まり。

ドスゥッ!!

再び、胃の辺りに打ち込まれた魔人の蹴りで、どういう状況にあるかをようやく理解する。

魔人に油断などなかった。

魔人の目的は、私をフルールの目の前で痛めつけること。
剣よりも蹴りの方が、嬲るには都合がいいのだろう。

胃の付近を痛打され、こみ上げてくる酸っぱいものに必死に耐えながら、私は両手で必死にお腹を押さえる事しかできない。

「……はぐぅ……、ふぐぅううううううぅっ!」

頭上から聞こえてくる魔人の声。

「くくく、なかなか良い声で悶えるではないか魔法少女。つまりは、こういうわけだ。コスチュームに守られていても、その下にあるのは人間の身体。動けなくなる程度に、負荷を与えてやるのはたやすい」

耐え難い屈辱と苦痛に対して、私ができることはただ声を殺して呻くことだけ。

「……うぅ……ぐ……う…うっぅううっ…」

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「ユキ! ああ、ユキ!」

悲痛そのもののフルールの声。

「やめろ! 魔人! やるなら僕をやれ!」

いやだ。このままじゃ、本当に魔人の思う壺。

悲鳴なんて上げるものかと唇を噛んでいるけれど、それを嘲笑うかのように、魔人は攻撃の手を強めてきた。

ガッ、ガッ、ゴッ、ガッ、ドガッ!!

小刻みに、足蹴にすることそのものを目的にした連打。
たとえ聖衣の守りは破れずとも、打たれる側にとっては休みなく刻み込まれる痛苦の嵐。

「あうっぐ……っ、あぅ……あぅっ……」

まずい。視界がぼやけてきた。蓄積したダメージは深刻だ。

必死に閉じていたはずの口が開き、そこからたらたらと不覚にも唾液が垂れる。

全身はガクガクと震え、さらに激しい痙攣を見せてしまう。

このままじゃ、駄目だ。
動けなくなってしまう前に、なんとか反撃のチャンスを掴まないと。

時々ふっと、意識が遠のく。
イヤだ。ダメだ。

負けるもんか。こんな、卑劣な敵に。

「どうだ、魔法少女。命乞いでもしてみるか?」

視界のピントが合うと、薄ら笑いを思わせる魔人眼が、じっと私を見下ろしていた。

「それとも一度、逃げてみるかね?」

そう皮肉たっぷりに言ってのける魔人の言葉が悔しくて、私はギュッと拳を握った。

私が決して逃げられない、とわかっていてそんなことを言う魔人が、憎い。
用意周到に、逃げられない状況を作り出しておきながら。

「卑怯者……」

精一杯の軽蔑を込めた私の言葉に対し、魔人は嗤う。

「はっはっは。卑怯?  卑怯だと? 馬鹿を言うな、これは戦略というものだ」

魔人が、嘲るように体を揺らす。

「愛の戦士、魔法少女ユキ! ひとつ、教えてやろう!」

どっ。

再び、腹部に激しく打ち込まれる足蹴り。

「あう! あぐっ!」

「暴力だ! この世界は暴力が支配しているのだ!!」

魔人の声が、笑いで上ずる。
足蹴りの間も口を休めることなく、嗜虐の言葉で私を嬲る。

「しかし、魔法少女ユキよ。貴様もまた、力の行使者! 暴力の化身!!」

迷いのない言葉で、魔人が告げる。

「我ら魔族から見れば、同胞を打倒し続けた憎き敵! 許しがたい暴力の行使者なのだ!」

高らかに、言い放つ。

「己の力に酔っていた者が、より強い力を持つ者によって打ち倒される! それだけのことだ! 納得して死んで行くがいいっ!!」

そんな魔人の言葉の合間に、響くフルールの声。

「やめろ、魔人! これ以上ユキを嬲るのはやめろぉーーっ!」

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本当は。

魔人の言葉に耳を貸す必要なんか、ないはずだったのに。
相棒のフルールの悲痛な叫びこそを、自身の力に変えて奮い立つべきだったのに。

けれど。

『貴様もまた、暴力の化身』

聞き流せばいいだけの魔人の言葉が、不覚にも胸に刺さって抜けようとしない。

(……ち、ちがう……。暴力、なんかじゃない……。私はただ、みんなを……悪いやつらから、守りたかった……だけ……)

その思いを言葉にできぬまま、私は幾度も魔人の足蹴りによって床を転がされた。

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