セーラーマーズの敗北

【セーラーマーズの敗北 ~ 破壊と狂乱の果てに ~ 】

<1>

市街で頻発する謎の昏睡事件。

原因不明の意識不明状態に陥った女性が市街各所で次々に発見されるという異常事態に、街は言い知れぬ恐怖に包まれていた。

被害者の女性はいずれも10代半ばの少女たち。

みな衰弱しきった体で発見され、今なお意識を失ったままの状態病院で眠り続けている。

事件の裏に妖魔の暗躍を察知し、真相の究明と解決を図るべく調査を開始した五人のセーラー戦士たち。

各地に点在する事件現場の一つである自然公園に、炎のセーラー戦士、セーラーマーズの姿はあった。

深夜。
人々が一日を終え、眠りにつき始める頃。

市街地からほど近い、とある自然公園の入り口に立つセーラーマーズ。

仄かな月明りに照らされた少女の姿は、まさに美少女戦士と形容するに相応しい華やかさと凛々しさを湛えていた。

レオタード状のスーツからすらりと伸びる両足を包む、朱色のハイヒール。
腰まで届く長い黒髪は月光を浴びて艶めき、神秘的なまでの色香を醸し出している。
切れ長の瞳が印象的な目鼻立ちは、年相応の愛らしさを伺わせながらも、戦士としての凛々しい表情に引き締められていた。

白いロンググローブを身に着けた指先に挟み込まれた一枚の紙片。

奇怪な文様が刻まれた御札には、セーラーマーズ、火野レイが持つ霊力が込められている。

「それなりにうまく隠したみたいだけど……」

言いながら、札を公園の入り口に向けて投じる。

「私の霊感は誤魔化せないわ!」

放たれた札が公園の入口、何も遮蔽物などないはずの空間にピタリと張り付いた。
御札に刻まれた呪文が発光し、その周囲に割れたガラスのような亀裂が走る。
たちまち空間の境目が砕け落ち、仄暗い異界への入り口が顕になった。

濃密な妖気が漏れ出る異境を前に、一つ大きく息を吸うセーラーマーズ。

このまま突入するべきか?

それとも。

仲間たちを待つべきか?

彼女はひとつの大きな決断を迫られていた。

________

四人のセーラー戦士には既に異常を伝えてある。
公園の入口付近に異界に通じる空間の境目があることは、変身ペンを通信機として使うことで既に報告済みだ。

そう時を待たずに、仲間たちは駆けつけてくれるだろう。

本来であれば、合流した上で作戦を練って挑むべきではあるが。

しかし、それまで結界がこのまま存在しているという保証はない。

何より、結界が起動し隠蔽されているということは、内部に被害者が閉じ込められている可能性が高かった。

「……迷ってる暇はない、か」

意を決し、赤いハイヒールの右足を踏み出す炎のセーラー戦士。

その瞳には恐れなど微塵もない。

燃えたぎる炎のような確固たる自信が満ち溢れていた。

________

<2>

自然公園の内部はまさに異界と呼ぶに相応しいものだった。

見てくれこそ植物の生い茂る公園の様相を呈しているが、その内部は複雑に入り組み自然の迷宮と化していた。

本来は森林浴のコースであった林の中の道は、密集した樹木の壁や木の根によって抜け道を許さないような構造となっている。

そこを抜けた先は、背の高さほどある生け垣で覆われた道で複雑に入り組み、もはや完全な迷路だ。

公園内のところどころに設置された街灯が放つ光のおかげで視界はある程度確保されているのは救いだが、それもまた迷い込んだ者を公園の奥に誘い込む仕掛けのひとつなのだろう。

天候もまた外界とは一変しており、上空からは絶えず雨粒が降り注いでいる。
降りしきる雨のせいで、周囲の物音や空気の流れが把握しづらいのも難点だ。

「……小雨の類ではあるけれど。やっぱり不快ね」

空を見上げつつ、マーズはつぶやいた。

すぅうううう。

大きく息を吸い。

瞳を閉じて精神を集中し、霊感を鋭く研ぎ澄ます。

この自然公園を外界から遮断し、迷宮へと変じさせている基点。
身を打つ雨粒にも集中を乱すことなく、霊感の探知網を広げていく。

「――視えた……!」

見開かれた瞳。

赤いハイヒールが泥地を蹴る。

正義に燃える炎のセーラー戦士は今、結界の最奥を意識の中でとらえていた。

「目指すは中央広場……!」

間違いない。この結界を構築している、何らかの魔法装置はそこにある。

霊感でとらえた公園の全体のイメージを脳内で整理する。

「 得体のしれない迷宮に単独での突入は、ちょっと勇み足かと思ったけれど」

マーズは自信ありげに笑った。

「今回は、霊感少女たる私の面目躍如となりそうね。この迷宮、一気に駆け抜けてみせるわ」

自然物を組み合わせて作られた、迷宮の結界。
視界を遮る、しとしとと降りしきる雨。

そのような状況の中。
湿る宵闇の静寂を裂いて駆けるセーラーマーズ。

長い黒髪が水滴で艶めき、雨水を吸ってフィット感を増したスーツがモデルのようなプロポーションをより一層に際立たせていた。

結界に踏みこんで15分ほど。

遠目に見れば雨を弾きながら火矢のように。
理想的なフォームで疾駆する少女戦士ではあったが。

「…フゥ……、フッ、フゥウウッ」

顔を赤く上気させつつも、どうにか呼吸を抑えながら駆け続ける彼女の表情に普段のような余裕がない。

( まずい。思っていたほど甘くなかったかも )

既に彼女は少なからず消耗していた。

自分の固有能力である『霊感』と、セーラー戦士が持つ『妖気を感じ取る力』を合わせて使えば、迷路内の数々の選択肢において最適解を選ぶことができる、という自負があったが。

今、マーズは認識を改めている。

「…敵が……多すぎるのよっ、もぉっ!」

たとえ最短コースを行くことしてができたとしても、少なからぬ苦労を強いられるのではないか?

行く手を遮る数々の『障害物』によって、マーズは長期戦の覚悟を決めつつあった。

突如。
マーズの行く手を遮るかのように地面がボコリ、ボコリと不気味な音とともに隆起する。

「…くっ、また……」

土が泥水とともにうねり、盛り上がり。やがてそれが人型を形成していく異様な光景。

瞬く間に大人の男ほども背丈のある土の人形が完成し、目鼻のないのっぺらぼうの顔でマーズへと向き直る。

その人の形をした怪異は、先ほどまで地面の土であったことが信じられないほどに力強く滑らかな動きで握りしめた拳を高々と頭上に掲げて、駆け迫る少女に対し拳を叩き下ろす構えを見せた。

しかしマーズは微塵の迷いもなく、進路を変えることなく突き進む。

「はぁっ!」

一瞬の交錯。
土人形が振り下ろす拳をかわしつつ、マーズは掌底を打ち込む。

! ドゥッ !

その手から迸る紅蓮の炎が土人形の全身を一瞬に包み、そして焼き尽くした。

「…は、はぁっ……、はぁあぁ…っ…」

焼け落ちる泥人形を振り返るように見ながら。

マーズは足を止め、荒く息を吐いた。

「まったく……次から次と」

結界内に侵入してから五体目の会敵となった泥人形。

人形から立ち上る煙の中にわずかな異臭を認め、思わず顔をしかめる。
髪の毛や爪を焼いたときのような独特の嫌な臭い。

おそらくはこの泥人形には人間の体の一部を混ぜ込んである。

「この結界の管理者、ぜったいろくでもないやつよね」

人形を人間のように動かすために必要な何らかの魔術の仕込みなのだろうが。

この人形を作るために犠牲になった人の事を思うと、気分が滅入ってくる。

少し疲れた顔で少女はつぶやいた。

「参った。……迷宮の中にはモンスター。お約束と言えばお約束だけど」

腰に手をやり、雨が降りしきる夜空を見上げながら。セーラーマーズは大きく嘆息した。

結界の迷路に挑んだ直後は『自分の霊感を駆使すれば一気に攻略できるはず』という自信があったマーズだったが。

こうも立て続けに敵と遭遇すると、さすがにそうはいかない。

この結界を守る泥人形たちはいずれも単調な動きの、歴戦の戦士であるマーズにとってはものの数ではない者たちばかりであったが。

連戦となれば消耗する。

おそらくは結界にとって何らかの脅威となるものが侵入したときの備えとしてあらかじめ設置されていた罠の類だ。

目的地の広場につくまでは、幾度も遭遇するはず。

「…はぁっ……はっ……、もうっ、…先が……思いやられるわ……」

乱れがちになる呼吸を整えつつ。

ふとマーズは首をかしげた。

( おかしいわね。今日は調子が悪いのかしら )

違和感。

普段の自分なら、この程度の戦いで息切れすることなどないはずだ。

にもかかわらず、先ほどから感じる疲労感。倦怠感。

いったいこれはどうしたことか。

暗い気分に沈みそうになる自分を叱咤するように、ピシャピシャと両手で頬を叩きながら。

深呼吸し、自分に言い聞かせるようにつぶやく。

「いや、この雨だしね。そりゃ本調子とはいかないわよ」

恨めし気に雨がふりしきる夜空を見上げながら、マーズは頭を横に振った。

「少し…ペースを落とすべきかしら」

疾走をやめ、歩行へと切り替えてマーズは思考を整理する。

「厄介なのは、この雨」

炎を操るマーズにとっては、降雨によって周囲一帯が水に濡れる状況はどうにもやりづらい。

セーラーマーズの放つ炎は自身の生命エネルギー、すなわちエナジーに炎のイメージを乗せるものであり、自然界における物質の燃焼とは似て非なるものだが。
それでもやはり多くの水分を含んだものには効きづらいのだ。

空気までもが濡れそぼる雨の中、溜息をつきながら踏み込んだ十字路の中央でマーズはその足を止めた。

「そして、この迷路」

この迷宮として作り変えられた自然公園に踏み込んだ直後の最初の行き止まりの際、ものは試しと迷路の壁に炎を放ってみたが。

降雨という条件下もあって、樹木に延焼が広がるような状況はどうにも期待できそうになかった。

大人の背丈よりも少し高い程度の生垣の壁、セーラー戦士のジャンプ力をもってすれば超えることも可能だろうと飛んでみた際は、空中で硬質ガラスの壁にぶつかったような衝撃を受け叩き落されてしまう。

つまり。
迷路の壁全体に、この結界の製作者が強力な防御術式を組み込んでいるのだ。

マーズの霊感が告げている。

おそらくは。
迷路を迷路たらしめているのは迷い込んだものの幾手を遮る『壁』であること、そのことに結界の製作者が強いこだわりをもっているのだろう。

たとえ一か所であっても迷路に壁を開けてしまうことが可能となれば、それはもう迷路ではなくなってしまうからだ。

つまりは、この迷路の壁のひとつひとつが、結界の製作者のプライドそのもの。

『壊せるならどうぞ』と言わんばかりの代物なのだ。

結界を仕掛けた者の思惑に乗るのは悔しいが、大人しく迷路内の分岐点で選択を重ねて先に進むしかない。

雨に濡れそぼる前髪の水を不快気に払いながら、マーズはつぶやいた。

「ホント。こんなタチの悪い結界に迷い込むはめになった、被害者のコたちには同情するしかないわね」

自らも疲労し、歩き続けながら思索を重ねる。

─── こんな雨の中、こんな入り組んだ迷路に迷い込んで、濡れながら彷徨い歩いて……

─── さぞや疲れ果てたことだろう

─── 恐ろしい泥人形にも追いまわされて……

─── どれほど怖かったことだろう

─── 迷路から解放された後も、目が覚めることもできないほど衰弱してしまうのも仕方ない…

……。
…………。

「……いや、待って。なんか引っかかる」

不気味な迷路。奇怪な泥人形。

いずれも普通の少女たちにとっては脅威であることは疑いの余地がない。

しかし。歴戦のセーラー戦士であるマーズにとってはそうではない。

数々の妖魔や怪異との戦いを重ねてきた彼女が、なぜ今回に限ってこれほどの疲労感に襲われているのか?

自分は何か、重要な事を見逃しているのではないか?

「それは……この雨のせいよ。炎の戦士である私にとって、雨はどうしたって相性が悪いから…」

自問自答を重ねる中、ハッとしたようにマーズは雨水に濡れた自分の体に目をやる。

(……あ……)

なぜ自分は『この雨』を当たり前のように受け入れてしまっているのか。

『 結界内の異常のひとつ:天候の変化 』

そう決めつけてしまったのは、安易な判断だったのではないか。

もしも。
この雨もまたあの奇怪な泥人形を生み出している要因のひとつならば。

この雨も警戒の対象として考えるべきではないだろうか。

現在、降りしきる雨が危険なものである可能性。
その結論に至ったとき。

マーズは顔色を青ざめさせた。

「まさか……!」

思い立ったかのようにマーズはあえてライターの炎のような小さな炎を、指先に灯してみた。

それが上空から降る雨に触れた瞬間、わずかな煙を上げてゆらめき、そのまま消えかけのロウソクの炎のようになってしまう。

わずかな、しかし目に見える形での雨による炎の弱体化。

その様子を注意深く観察しつつ、マーズは気づく。

「しまった……やられた……」

これがただの雨水であれば、炎のセーラー戦士が生み出す火炎の力に干渉することなどありえない。

しかし、今。
これがただの雨ではなかったということが判明した。

「この雨もまた……結界の罠のひとつだなんて」

ようやく、マーズは理解する。

先ほどからの不可解な疲労感の正体を。

今、公園に降りしきる雨はその一滴一滴が生命エネルギー、すなわちエナジーを吸い取る性質を持ってるということを。

すなわち。

今この迷宮全体に降り注いでいるのは。

「 エナジードレインの雨……!」

マーズは愕然とした表情で呻いた。

「くそぅ……こんなの反則でしょ」

マーズが歯噛みするのも無理はなかった。

この雨が厄介な点は、明確にわかりやすい毒性や強力な魔の性質を備えているものではないことだ。

ありていに言えば、一滴一滴はごくごく微弱な性質の毒だ。

普通の雨であっても、長時間浴び続ければ体力を消耗する。今、この公園に降っている雨はそれと区別がつきにくいほどに、巧妙に仕組まれた『罠』なのだ。

「…よくできているじゃない。
迷い込ませたうえで、獲物に自覚させないまま体力を削り取る、……なんてね」

身を持って体感する連続昏睡事件のカラクリに、怒りを滲ませるセーラーマーズ。

罪もない少女達を異界に閉じ込め、その生命力を魔性の雨によって吸い取り奪う。

それが、この『結界』の目的だったのだ。

何もわからぬまま衰弱していった被害者の女性たちの恐怖は計り知れない。

「……許せない」

マーズは強く唇を噛んだ。

今回、街に起きた異変の被害者はすべて女性。それも十代の少女ばかりだ。

「突然迷い込んだ迷路の中で、雨に打たれながら動けなくなっていく女の子たち。その生命力と恐怖の感情を、雨水を通じてすするのはさぞ美味しかったことでしょうね」

いまなお姿形の知れない、この結界の術者に向けて。精一杯の皮肉を言葉にしつつ、彼女は怒りで拳を握りしめる。

『 この結界の罠を造り出した敵に対しては、必ず相応の報いを受けさせる 』

その決意を新たにする。

おそらくは、今もどこかで。
この結界の様子をのぞきこみながら、ほくそえんでいるのだろう。

そんなまだ見ぬ敵への怒りに震えながら。

「絶対に引きずり出して。締め上げて。全部、吐き出させてやるから」

自身もまた、降りしきる吸精の魔雨の中で体力を削り取られつつ少女の戦意は再び燃え上がる。

迷宮と雨によってもたらされた、疲労感や倦怠感。それを冷静に認めつつ。

『だから、それが何?』

と言わんばかりに、雨に濡れた美しい黒髪をかきあげるのだった。

ようやく敵の狙いを理解し、闘志の炎で胸の奥を熱くしつつも。

「…とは言え。このまま先に進むかどうかは、迷いどころね」

雨宿りにちょうどよい大きさの樹木の下を見定め、一息いれる形で体を休めながら、マーズはつぶやいた。

肉体と精神の緊張をほぐすべくストレッチしつつ、自分に問いかける。

「…いっそ。いったん退いてみるのもあり?」

そんな事まで口にしてみる。

彼女はよく理解しているのだ。
闘志と冷静さを両立させることができる事、それが自分の強味であることを。

……ゆえに。

今、火星の少女戦士セーラーマーズは、自分がこの結界に挑むにあたり大きな不安を抱えていることも冷静に把握している。

「本当に大丈夫?」

自問自答を繰り返す。

それは、彼女自身の身を案じるものではない。

『仲間のセーラー戦士たちが結界内に侵入したとき。はたして、すぐに結界内の雨の危険性に気づいてくれるだろうか?』

という懸念だ。

このエナジードレインの雨が悪辣なのは、すぐには気づかない程度の微弱な効果しか発揮しないこと。しかし、長時間にわたって浴び続ければ確実に命取りになることだ。

樹木の下で雨宿りしつつ目をつぶり、後続の仲間たちの顔ぶれを思い出しながら問いかけるマーズ。

「…ちゃんと気づいてくれるよね?」

しかし。
冷静に、つとめて客観的に、つまり冷徹な考察をおこなった結果。

彼女は頭を抱えることになった。

最初に頭に浮かんだのは、彼女の一番の親友。
月の戦士、セーラームーン。

「……ええと……ムーン、うさぎはまず論外として……」

無理だ。

あのおっちょこちょいが、結界に入ったとたん『みんな、気をつけて! この雨も怪しいよ!』などと勘づく姿を想像するなど。

そんな事は探偵アニメの脇役刑事が殺人事件の直後に犯人を看破する姿を想像するくらい、無理だ。

ならば、自分と肩を並べるセーラーチームの攻撃担当。友達にして好敵手。
木星の戦士、セーラージュピター。

彼女ならば?

「……うーん……ジュピターも……。いざ戦いに挑むとなったら、後先考えずに突っ込んでいくところがあるから……」

厳しい。あの二人は非常に厳しい。

にわかには気づかないほどの微弱なエナジードレインの雨の脅威など、疲労困憊して動けなくなるまで気づかないのではなかろうか。

三番手として浮かんだのは、攻守ともにバランスのとれた万能タイプの戦士。
金星の戦士、セーラーヴィーナス。

「ヴィーナスなら安心。……と言いたいところだけど…。周りのみんなに合わせる形で、その場のノリに流されちゃうところがあるし……」

覆面の戦士セーラーVとして単独で活躍していた時期もある彼女は、五人のセーラーチームの中ではもっとも安定感がある戦士だ。
攻守ともにバランスが良く、戦士としての経験も多いため機転が働く。

しかしながら。
チームプレイを重んじて二番手や三番手を選びがちな性質の持ち主でもある。

セーラーVとして人知れず孤独な戦いに挑んでいた時期は辛いことも多かったのだろう。その反動からか、セーラーチームに加入してからの彼女は仲間をサポートする役割を担うことを好んでいるようだ。前衛よりも後衛を好み、チーム全体を守る戦い方を意識する傾向が強い。

「勘がいいから、雨に対して『嫌な予感』を感じてくれそうな気はする。けれど、それを強く主張してくれるかどうかとなると……」

やはり厳しい。

ならば、本命。
セーラーチームの頭脳役。桁違いの知性。
水星の戦士、セーラーマーキュリーならば。

IQ300の天才的頭脳。
観察対象を解析する青のバイザーと、コンパクトサイズのコンピューターで戦場を分析する姿は、このうえなく頼もしい。

「うん。マーキュリーなら大丈夫。安心。まず最初の段階で結界の中と外で天候が違うことに、警戒心を抱いてくれるはず」

満足げに目をつぶり、うんうん、と頷き。

しかしすぐにマーズは大きな溜息をついた。

「 ……でもなぁ……。頭の良さや観察力は折り紙つきだけど。ときどき、やたら気弱で引っ込み思案なところがあるからなぁ……」

マーキュリーなら結界内の雨を浴びる前に、危険の可能性に気づいてくれる、と思いたい。

だが、しかし。

すでにマーズが突入している状態で、あえて

『みんな! この雨は危険かもしれないわ! 私たちはちょっと様子を見ましょう!』

などと慎重論を、声高に訴えることができるかどうかを考えると、これまた判断が難しい。

いや、そもそも。

一足先に単身で結界内に乗り込んだマーズの身を案じ、心配のあまりセーラームーンが有無を言わさず結界の中に飛び込んで行く可能性も高い。

「……あ。うん。これはあるかも。……つか、ある」

マーズはごくり、と生唾を飲み込んだ。

血気盛んなジュピターが、マーキュリーの制止の声を聞かずにその後に続く姿も、わりと簡単に想像できる。

その後に『まぁ、なんとかなるでしょ』と言いながらマーキュリーの背を押すヴィーナスの姿など、すっごく解像度高い感じでイメージできてしまう。

……。
………………。

少なからぬ熟考の結果。

『あの四人はかなりの高確率で、結界内に振る雨の危険性に気づかないまま飛び込んでくる可能性が高い』

これが、セーラーマーズの至った結論だった。

「……そりゃ私も最初の段階で単独行動を選ぶとか、勇み足だったけど……」

自身の判断ミスについては認めつつも。

しかし比較的早い段階で微弱なエナジードレインの雨の効果を気づくことができた点は褒められていい。

そう自分を慰めたくなる程度に。

後続の四人のセーラー戦士たちにも、色々と不安要素は多かったのだった。

マーズ自身が、『雨に仕組まれた罠』の気づきを仲間たちに伝えない限り。

後続の仲間たちが、罠の存在に気づかないままマーズ同様に結界の中で消耗していく可能性が極めて高いこと。

その可能性に思い至ったとき。

彼女は駆けだしていた。

前方ではなく後方へ。
踵を返して、脱兎のごとく。

「決めた! 今は退く!」

自分が来た道を駆ける。逃げるように駆ける。

( ……ああっ! もぅ! 悔しいったらありゃしないわ! ……けど……!)

この結界の罠を作った者に対する闘志は微塵も衰えていない。

そんなマーズにとって、ここで退く事は唇を噛みちぎりたくなるくらいの悔しさを伴うものであったが。

しかし。
それとこれとは、別の話なのだ。

仲間の安全と自分の意地、どちらに重きを置くかと問われれば、迷いなく前者だ。

( お願い、間に合って……!)

自分が結界に侵入してから、時間にしてどのくらい経ったか?

走りながら、そう自分自身に問いかけて暗澹たる気分になる。

おそらく、30分近くは経過している。

仲間たちが自然公園の入口に終結するには十分な時間だ。

( 急いで引き返して…みんなと合流して……この雨の危険を伝えなきゃ! )

もはや一刻の猶予もない。

……にもかかわらず。

帰路に向かっての、岐路。
進む迷路の先の分岐点。

その最初の段階でマーズは立ち止まるしかなかった。

「しまった……。結界の奥を目指すならば、強い妖気を辿ればよかったけれど……。帰りとなると……」

どうやって入口付近まで迅速に戻るか。

その方法がすぐには思いつかず、立往生してしまった矢先に。

!! ゴゥウウンッ !!

マーズが引き返そうとする方向、その遠方から響き渡る、雷の轟音。

「あ、あれは……!?」

マーズは見た。
視界をさえぎる迷路の壁、その向こうの空が稲光によって光る様を。

天から地へと落ちる自然界の落雷ではなく。
地上にありて振るわれる、雷の鉄槌によって放たれる光を。

!! ゴゥウウウンッ !!

その雷鳴の意味するものを瞬時に理解し、思わず叫ぶマーズ。

「 ああ……もぉっ ! なんで!
こんなときに限って早く来るのよぉっ!」

今なお、その姿は見えずとも。
幾重もの重なる迷宮の壁を隔て、仲間の到着を確信する。

普段であれば、孤軍奮闘しているところに仲間が駆けつけてくることは本当に嬉しい事なのに。

今日に限ってはそうではないのが恨めしい。

ともあれ。
ここにきて、マーズが恐れていた事態は起きた。

このエナジードレインの魔雨が降りしきる迷宮の結界に。

参戦したのだ。

セーラーチームきっての攻撃役。

雷撃の戦士。
セーラージュピターが。

木星。英語ではJupiter。

地球の約318倍の質量を持つ、太陽系で最大の惑星。
ギリシャ神話における主神ゼウスを象徴する星。

ゼウスは雷を操り、敵対する者をことごとくなぎ倒し、ついにはこの宇宙そのものを破壊するほどの力を持つと恐れられるに至ったという。

そのゼウスに連なる木星を守護星とするセーラー戦士。
セーラージュピターが秘める潜在能力とは、すなわち ───。

!! ゴゥウウウンッ !!

本物の落雷を思わせるほどの衝撃が、結界内に響き渡る。

マーズが唖然とするほどの、力。
とてつもない質量をともなうようなエネルギー。

!! ドゴォオンッ !!
!! ドゥウウウンッ !!

それが雷撃として、立て続けに結界そのものに叩きつけられている。

─── こんな迷路、こんな結界。
─── ぶち壊してやる。私が全部、ぶっ壊してやる。

幾重もの迷宮の壁を隔てて。
数百メートルの距離を隔てて。

そんな彼女の叫びが、咆哮が。
聞こえてくるかのようだ。

(……い、いくらなんでも飛ばしすぎでしょ…… 何があったのよ、ジュピター……)

茫然と。マーズは、はるか遠くで戦う戦友に心の中で問いかけ。

そして、すぐにそれが愚問であることに気づく。

ジュピターの意図はわからない。

しかし、その意思は明確。

怒っているのだ。猛っているのだ。

この結界のどこかで。
セーラジュピターがその身の怒りをゼウスの雷もかくやというほどの力に変えて。

恐るべき威力の雷撃を、後先考えずにこの結界の迷宮に叩きつけ続けているのだ。

夜の自然公園で。
降りしきる雨の中。

迷路の壁に視界をさえぎられつつも、地を揺るがす雷撃の怒号とともに照らされる遠方の空を眺めて
セーラマーズは思う。

セーラージュピターとはこれほどの力を秘めた戦士だったのか、と。

羨望する。

そして。

『とても叶わない』という諦観。

「これまで幾度も肩を並べて戦ってきたけど…気づかなかったな…。あんなに凄いことができたなんて」

今のジュピターならば、本当に結界そのものを壊してしまうことも可能なのではないか。

一瞬、そんな一抹の期待を抱きかけたとき。

ようやくマーズは我を取り戻した。

( ……この、エナジードレインの雨が降っている中で? )

あれほどの力を奮うリスクは、どれほどのものか。

瞬間、マーズは蒼白になった。

そもそも。
エナジードレインの雨が振っていようがいまいが、あのような膨大なエネルギーを放つ行為をそうそうおこなっていいわけがない。

セーラー戦士といっても、もとはただの人間。

前世からの宿縁で、それぞれが守護星に応じた力を得たセーラー戦士は、変身によって常人とは桁違いの生命力 『エナジー』をその身に宿す存在ではあるが。
大きな力を奮えば、それなりの代償は払わねばならない。

いかにゼウスに連なる惑星、木星を守護星とするセーラージュピターといえど。
さすがにゼウスの雷を思わせるほどの威力の雷撃を奮うことができるわけではないのだ。

たとえ、セーラージュピターが秘めた潜在能力、そのエナジーの総量がマーズを大きく上回るものであったとしても。そこには必ず限界がある。

つまり。

あれほどの力を使い続ければ、いずれ必ず力尽きる。

そして。

─── その後、地に倒れたジュピターの上に降り注ぐのは

─── 呪わしき結界の吸生の雨

恐ろしい想像。

あってはならぬ未来予測。
しかし、おそらくは現実のものとなってしまうであろう、この先に起きる出来事。

今のままでは、ジュピターが自滅する可能性が極めて高いこと。

その予測を彼女の明晰な頭脳が導いたとき。

マーズはたまらず絶叫していた。

「 馬鹿ぁああ! 何やってんの、ジュピターァアアアッ!!」

美しい黒髪をふりたくって。
日頃の冷静な彼女からは想像もつかないほどの、取り乱しようで。

「やめなさい、今すぐ! すぐにその馬鹿げた雷撃をやめるの!」

叫ぶ。

「一度試せばわかるでしょ! この結界の迷路はそうそう壊せる代物じゃないっ!」

あらん限りの声で叫ぶ。

「何やってんの! 何考えてんのよ!」
「気づいてないの! この雨はエナジードレインの雨なの!」

感情が昂ぶるあまり、なじるように。
責めるように、叫ぶ。

─── もし、今ジュピターの傍にいることができたなら

そう思わずにいられない。

─── 力ずくでも、羽交い絞めにしてでも、止めてみせるのに

しかしそれはかなわず。

そのやるせなさのあまり、ジュピターのみならず他の仲間たちに対しても、叱責したい気持ちになってしまう。

─── みんなは、何をしているの?
─── 明らかにジュピターは暴走しているのに
─── どうして止めてあげないの?

その気持ちをそのまま言葉にして叫ぶ。

「ムーン! マーキュリー! しっかりしてよ!」

泣きたい気持ちで声を荒げる。

「友達が危ないことしてるの! わかるでしょ!」

不安はやがて、仲間への不信感へと形を変えてしまい。

「 ヴィーナス! あなたが傍にいながら!
いったいどういうことよ! わかるように説明してよぉっ!」

もうどうにも感情を抑えらず、涙ながらにヒステリックに叫んだとき。

マーズの叫びに応えるように。

ジュピターの雷の光が放たれる場所から少し離れた辺りから、あらたな光が空を貫く。

力強く、そして美しい金色の光の柱が。
自然公園の一画から立ち上る。

「……え……」

一瞬、何が起きたのかわからず。思わず言葉を失うマーズ。
それはおそらく遠く離れた場所で、暴れ狂っていたジュピターも同じなのだろう。

先ほどまで繰り返されていた、結界そのものを揺らすような雷の怒号が嘘のように、ピタリと止まってしまう。

遠目に見てもわかる、膨大なエネルギーをともなう金色の光の柱。

「……あ……」

そのあまりに強く美しい光に。思わず声を失いながら。

遠目に、その金色の光を放つエナジーの柱の正体を理解し、マーズはただただ茫然とするしかない。

こんなことをするのはこの世に一人しかいない。

美と愛の女神ヴィーナスを象徴する惑星、金星を守護星とするセーラ戦士。

セーラーヴィーナスの放つ、巨大なクレセントビーム。
その光が今、吸精の雨を地上に降り注ぐ雨雲に挑むように地上からまっすぐに打ち立てられていた。

セーラーヴィーナスの放つ必殺技、クレセントビーム。

その意味は「三日月の光線」という意味だ。

空にあってもっとも強い光を放つ星、金星。
地球から観測できる惑星の中で唯一、月と同じく満ち欠けが確認できるほどの光を放つ星。

金星がその強く美しい光を放つ様を、古代の人々は美と調和の神 ヴィーナスに例えた。

そのヴィーナスを象徴する惑星を守護星とするセーラー戦士。セーラーヴィーナス。

その真価とはすなわち ───

________________

邪悪の雨が降り注ぎ、地上で怒りの雷撃が放たれる、この迷宮の結界の中にて。

今、金髪の少女が光の柱をもって調和をなす。

エナジードレインの効果を持つ地上に降り注ぐ雨雲を討つように。

地上からまっすぐに打ち上げられた、巨大なクレセントビーム。

炎や雷を操るマーズやジュピターの影に隠れ、いまひとつ攻撃力にかける印象はあるが。その実、セーラーヴィーナスの放つクレセントビームの威力は凄まじい。

横にふるうように放てば数にものを言わせて戦うような妖魔など羽虫をはたくように薙ぎ払う威力を持っている。

普段は攻撃担当の二人の顔を立てて、あえて最大出力で光線技を放つことを控えているのではないか。……そんな見方もできるほどの、攻撃力をヴィーナスもまた秘めているのだ。

しかし、今。
その力を出し惜しみなく、おそらくヴィーナスは最大出力のクレセントビームを夜空に放っている。

まるで、ジュピターにこう言いたいかのように。

─── まったく無茶をするのね、ジュピター。
─── でもいいわ。あなたがこの面倒臭い迷路をぶち壊してやる、と言うのなら。
─── 私はこの鬱陶しい雨雲を、散らしてみせようじゃない。

……と。
見ようによってはジュピターの無謀につきあってあげる、という意味にもとれる巨大な光の柱はやがて消えてしまい。

その後、ほどなくして。

頼りない光を放つ、出力控えめのクレセントビームがピッ、ピッと二度。

夜空に二度、打ち上げられた。

まるで

─── あ、ごめん。やっぱ無理だったわ。

……と。そんな罰が悪そうなヴィーナスの顔が目に浮かぶような形で。

「……あ……は……」

凄まじい力の行使の直後の、夜空に打ち上げられた頼りない二度の光。

「ヴィーナスまで……何やってのよ……」

その恰好のつかない結末に思わずマーズは脱力し、少しだけ笑ってしまう。

そして。
緊張が解けた形で、マーズは持前の冷静さを取り戻した。

「……でも……どういうこと?」

─── あのヴィーナスがジュピターを諫めるためだけに、あれほどの出力でエナジーを消費したりするだろうか、と。

ここで、マーズは重大な事に気づく。

そもそもヴィーナスが光を打ち上げた場所は、明らかにジュピターが力を奮っていた場所よりも離れていたのだ。

遠目に見ても明らかに。

(まさか……二人は今、一緒にいないの?)

そのマーズの仮説を裏付けるように。

ほどなくして、ヴィーナスがクレセントビームの光を打ち上げた場所から、少し離れた迷路の一画から。

金色の小さな光と、それを包み込むように反射する光が打ち上げられた。

まるで

─── 私たちはここにいるから
─── 心配しないで、ジュピター

と伝えるかのように。

おそらくは、月のセーラー戦士、セーラームーンと。
水星のセーラー戦士、セーラーマーキュリーが。

夜空に向けて放ったのだ。
三日月形の光弾を放つムーン・プリンセス・ハレーションを、水の泡から霧を作り出すシャボン・スプレーと合わせる形で。

「……わかった……そういうこと……、か…」

ここにきて、ようやく。マーズは理解した。

後続の四人は、迷宮に突入して早々にそれぞれの所在がわからないほどに分断されてしまっているのだ。

このエナジードレインの雨が降り注ぐ中で。

先に繰り返された、とてつもない雷撃の数々。

この結界そのものを破壊してやる、と言わんばかりのジュピターの暴走。

それは分断されてしまった仲間たちが無事かどうか、心配するあまりのことに違いない。

しかし、それを力技で制する形で。ヴィーナスはクレセントビームを最大出力で夜空に
向かって放ち、自分の健在を示したのだ。

そしてそれに呼応する形で、ムーンとマーキュリーもまた空に必殺技を放つことで無事をアピールしたのだ。

「……なんて……人達なの……」

夜空に放たれた、セーラー戦士たちの信号弾。

窮地において力を発揮する仲間たちの心の強さにマーズは胸を打たれる。

思わず涙ぐんでしまうほどに。

そして、ほどなくして。

再び、ジュピターの雷撃が夜空を照らした。

迷宮の壁にではなく、空に向けて放たれた雷撃が。

─── ごめん。馬鹿なことやってしまったね。

そう、仲間たちに伝えたいかのように。

夜空に放たれた、セーラー戦士の絆を示すかのような必殺技の信号弾。

その美しさに心を打たれ。

マーズもまた夜空に向かって手を伸ばす。

「みんな……私もここにいるよ……」

あの、絆に連なるべく。

「…大丈夫、私も無事だから安心してね…」

自らもまた炎を打ち上げて健在を示そうとして。

……。

ふと、我に返り。

マーズの手はピタリと止まってしまった。

今、すぐ。この場で。
仲間たちに続く形で。

自分も放つべきなのだ。
この夜空に、ファイヤー・ソウルを。

しかし、マーズは躊躇している自分に気づく。

─── いいの? それで?
─── 無事を伝え、このままみんなと合流する。
─── 本当に、それでいいの?

本来なら、当然のように選ぶべき選択肢。

仲間たちとの合流。

しかし、今、セーラーマーズはその選択に強い抵抗感を感じてしまっている。

───
みんなと合流したら、あとは脱出あるのみ。

───
このエナジードレインの雨の中、戦いを継続するなどありえない。

───
あんな大暴れをしたジュピターの消耗は深刻なもののはず。

自分もまた、この必殺技の信号弾に加わったなら、その後の展開は容易に想像できる。

『合流したあとの脱出』

それ以外の選択肢はない。

しかし。

「 ……そんなの、嫌よ 」

無意識に、マーズは口にしていた。

そして悔しげに唇を噛んだ。

─── このまま、敵を逃がしていいの?

─── 私なら。私ひとりなら。

─── このまま一気に、この迷宮の中心を突く自信があるわ。

それは過剰な自信ではない。

マーズは、今現在この結界の迷路を『ほぼ最適』のコースで攻略している手ごたえを感じていた。

この結界を突入して間もないころに、自分が霊感でイメージした脳内の地図を、確実に辿っているという自信があった。

( おそらくは、既に必要な距離の半分は踏破しているはず )

彼女は自分の霊感に絶対の自信を持っている。

迷路の中の数々の分岐路で、より強い妖気を感じる道を選ぶ。

自分にとっては簡単なことだ。

今現在、自分はそれを為しているはず。ならばこのまま継続すればいい。

ただひたすら最短時間でこの迷宮を抜け、エナジードレインの雨による消耗を最小限に抑えて決戦に挑む。

─── それができるのは、セーラーチームの中でただ私だけ。

……にも関わらず。

自分のアドバンテージを放棄して。
何も得ることなく、ただ勇み足を恥じて。

仲間たちと合流し、そのまま慣れ合って『撤退』を選択する。

……本当にどれでいいのか。

その自問に対し、マーズは静かに、しかしはっきりと答えた。

「いやよ、そんなの。絶対いや」

年頃の少女が持つ特有の狂気。執着心。
今、美少女戦士セーラーマーズはそれに抗えずにいる。

今、彼女が何よりも望んでいるのは。

仲間との再会ではなく。

この迷宮の攻略を成し遂げたという結果。

─── つまり。…勝ちたいのよ、私は。

そう。

ここに来てマーズは気づいてしまったのだ。

セーラー戦士たちの中で誰よりも好戦的で、勝利に執着してしまう性格の自分に。

今、再びセーラーマーズは決意する。

この結界に突入するにあたって自分がおこなった、単独行動と独断専行。

それを反省するのではなく、貫き通すことを。

空に掲げた手を下ろし、暗い表情でつぶやく。

「……ごめん。みんな。この信号弾、私は撃てない」

今は、まだ。
自分の健在を示す、信号弾を撃ちたくない。

あえて仲間に心配をかける事を恥じつつも。

自分の無事を示すことを最優先事項としたくないのだ。

ただ勝利を強く望むがゆえに、彼女は覚悟を決める。

「私が信号弾を撃つのは、敵の本拠地まで辿り着いたときにさせてもらうわ」

そんな言葉を口にしつつ。

ふと、想像する。

もし、今。

目の前に仲間がいたら?

『 つまるところ。私は、みんなを安心させるよりも。絆を確かめるよりも。敵に、勝ちたいのよ 』

自分はこんな事を言えるだろうか?

言えない。言えるわけがない。

生まれ持った霊感体質のために、セーラーマーズこと火野レイは同年代の少女から忌み嫌われてきた。『なんだか気味が悪い』……と。

そんな彼女を、受け入れてくれたのがセーラームーン、月野うさぎであり。その彼女のもとに集まってきた今の仲間たちだ。

ゆえに。

セーラーマーズは仲間たちに見捨てられることを何よりも恐れ。そして、その仲間たちを危険に晒すことになった自分を強く恥じている。

自分の能力に関する自負と、仲間に対する負い目。

そのふたつの感情に挟まれながら、マーズは自分が戦う理由を確認する。

自分の霊感を、戦いの才能として役立てたい。
みんなにそれを見せつけたい。

その事に強い執着心を持っている。

─── この戦いは

─── 自分の力を証明したうえで

─── 勝ちたい

セーラー戦士であると同時に霊感少女でもある、特異な存在である自分を受け入れてくれた仲間たちに対する感謝。

それゆえにセーラーマーズは、自分の霊感を戦いの才能として役立てることに強い執着心を持っている。

その感謝と同じくらいの、自負。

ここは譲れない。譲れないのだ。

「私は証明したいのよ。わたしにしかできない事をやり遂げたいの」

俯きながらも、そう強い口調でつぶやいた後。

マーズは顔を上げて決意を口にする。

「……だから。今は、このまま行くね。
無事に再会できたら、そのときは。ちゃんと謝るから」

そしてそのまま。
再び、踵を返しマーズは歩き始める。

この迷路を戻り、仲間との合流を目指す道を放棄し。

自分の霊感が告げる、より強く禍々しいものが待ち受ける道を選択する。

この憎むべき結界との決着を目指して。

仲間たちの面影を振り切るように、マーズは決戦の覚悟を決める。

「先陣をきった者のつとめ、果たしてみせるわ」

際限なく広がる迷宮。刻一刻と失われていくエナジー。

しかし覚悟を決めたセーラー戦士は至って冷静だった。

『 この結界のどこかで仲間たちも戦っている 』

その心強さと。

『 仲間たちもまた、この危険なエナジードレインの雨に晒されている 』

その危機感が。

今、マーズの集中力を極限まで高めつつあった。

セーラー戦士として妖魔を察知する力、すなわち妖気を感じる能力。

霊感少女として、不吉なもの、禍々しいものを感じ取る力。

そのふたつの力を駆使して、マーズはこの迷路における最適解を見極める。

─── ただ、強い妖気をたどればいいってもんじゃない。

幾度もの分岐点を重ね、幾度もの『結界の番人』たる泥人形との戦いを繰り返すうちに。

やがてマーズは「霊感を駆使して、不吉な何かが待つ道を避けることも大事」という考えにいたるようになっていた。

つまり、不要な戦闘を避けるにはどうしたらいいか。

この常に消耗を強いられる迷路の中では、それこそが肝要。

ときには、あえて「強い妖気は感じないが、不吉な何かも感じない」という道を選んでみることも大事なのだ。

( つまり、急がば回れ、ということよね )

黒髪をたなびかせ、赤のハイヒールで地を蹴りながら。

マーズは得意げに笑う。

( これは他のみんなと一緒にいちゃ、できないことよね )

結界突入時とは打って変わるスピードと効率の良さで、一気に迷路を駆け抜けていく。

!! ゴウゥ !!

すれ違いざまに燃やす泥人形の数は、すでに結界に侵入して10体を超えた。

しかし、今やマーズに疲労感はない。
降り注ぐエナジードレインの雨すら、はじき返すように。

圧倒的なスピードで迷宮を駆け抜けていく。
今、マーズはジュピターと同様、潜在能力を開花させつつあった。

スピード。すなわち、速度。
多勢を相手にした戦いでは、もっとも重要とされるもの。

相手の予測を裏切る速度で戦闘を展開させ、戦いの主導権を握る。

その快感の凄まじさ、高揚感は言葉では表現できないほどだ。

軍神マルスを象徴する惑星、火星を守護星とする赤の少女戦士は、このとき戦いにおいて『先鋒を務めるもの』の喜びを感じていた。

狂乱と破壊。それこそが軍神マルスの本領。

知恵と戦略、秩序を司る戦女神アテナとはその性格が大きく異なる。

マルスは己の欲しいがままに戦う。

思うがままの速度で地を駆け、思うがままに敵を打ち砕く。

その愉悦に、マーズの内なる闘志を一気に燃え上がり。

いつしか自分の闘志がエナジーへと変換され、自分でももてあますほどになっていた。

「あっは! あははははははははははっ!」

勝利を目指してただ突き進む。
胸の中から熱くなる。

吹きあがる闘志はそのままエナジーにかわり、それが自分の体を存分に動かし。

そして、時に炎となって敵を焼く。

今、マーズはその快感、その愉悦に酔う。
ただ勝利を目指し狂乱する軍神マルスを象徴する星、火星を守護星とする戦士として。

駆け抜ける先にもなお、『消耗の罠』を仕込んだエナジードレインの雨の雫が降りしきっていいるが。

「 だから、こんなものが何だって言っているの!」

強がりでもなんでもなく。

今、マーズは高らかに笑う。

「 あはははっ! こんな弱い雨じゃ削れないってば! 」

肌を濡らす吸精の雨。

しかし、それらの雨とて、湧き上がる闘志を持て余すマーズには心地よく感じるくらいだ。

「こんなの、もう体を冷やすのにちょうどいいくらいよ!」

今。

吸生の雨の雫は、炎のエナジーに充溢したマーズの肌に落ちた瞬間、ほとんど何も奪うことなく蒸発していく。

奪われるまえに奪えばいい。

前方の泥人形、新たなる敵を視野に入れ、そのまま一気に突撃し。

破壊する。

一体一体、打ち壊すごとにマーズの闘志はさらに燃え上がり、狂乱する。

奪われたぶん、奪い返せばいい。

霊感をもって、さらに新たな索敵をおこない、発見しだいこれも撃破する。

「あっは! あははははっはっは」

敵の守りを破り。
手に触れたものを壊し。

猛り狂い。
髪を乱して笑う。

もはやノリに乗っていた。

始まりは迷宮を効率的に攻略する、スピード感から燃え上がり。

今や効率など度外視、見つけ次第に敵を破壊するという狂乱と熱狂に至っている。

燃える闘志が。
立て続けに敵を撃破していく高揚が。

まるで無尽蔵とも思えるほどのエナジーに変換されていくのだ。

「うん、考えてみたらさぁ! 確かに! エナジーは減る一方じゃないよねぇ、」

敵を撃破するたびに、昂ぶる闘志をその場でエナジーに変換し、すぐさまそれを炎に変えて、次なる敵に放つ。

純然たる、闘志と行使のサイクル。

「 あっはははははははは! 何だ、何だ、そうか! そうだったか!」

その理解に至り、笑う。

「あの時のジュピターもこうだったんだ! 私にもできるじゃない!」

闘志を生命力に変換して対処すること。

生命エネルギー、すなわちエナジーは減る一方のものではない。

減って困るなら、増やせばいい。

先ほど、とてつもない雷を駆使していたジュピターも、おそらくはそうしていたのだろう。

そんな簡単な理屈が、なぜ先ほどまでの自分にはわかっていなかったのか。

冷静ぶってつまらない理屈を重ねていたのが恥ずかしくなってくるほどだ。

─── 今の自分ならこわくない。

─── どんな敵が待ち構えていようと。

尽きることない闘志を、吹きあがるエナジーへと変えて。

赤のセーラー戦士は、今や迷いなく。

火矢のように駆け抜けていくのだった。

駆けながら。やがてマーズは気づく。

周囲の迷路の壁の様相が変わりつつあることに。

草花で編まれた生垣から。
丸太で組まれた壁へと。

壁の高さも増していき、今や周囲の壁は2メートルを超えている。

迷路の壁が、より堅牢で圧迫感のあるものに性質を変えているのだ。

迷路から、決闘の地へと、ふさわしいものに変わりつつある。

それを示すかのように、この結界の番人、泥人形が出現しなくなった。

ゴールは近い。

周囲の壁はより堅牢さを増し、道幅も広くなっていく。明らかに、この先に何かある。

もはや結界の最奥はすぐ目の前。

このエナジードレインの雨が降りしきる中、雨に濡れながら結界装置を守っている敵がいるのか。

それとも、そこにあるのは無人の装置か。

「まずは、そのこの答え合わせといこうじゃない」

マーズが不敵に笑った、そのとき。突如。

彼女の孤独な才能 『霊感』が最大級の警報を告げた。

─── 大凶 ───

全身を熱くする吹きあがる闘志の炎を一気に覚ますほどの、悪寒をマーズが襲う。

破滅の予感に震える。

理解する。これまで結界の分岐点で霊感が告げた『凶』は、目前の脅威である泥人形の存在を示したもの。

しかし、この先にあるものは違う。

少なからぬ確率で
自分を破滅に導く大凶だと。

今しがたまで自分を破壊と狂乱に導いていた闘志の炎を一瞬で消し去るほどの、破滅の予感。

熱狂が一気に冷め、全身の肌が粟立つ。

しかしここにおいてなお、マーズの胸のうちは熱い。

『 それでもなお、私は勝ちたい 』

その思いを確かめつつ。

『 勝てなくとも、この先にある何かに挑みたい 』

その思いをあらたにする。

征く。

この先の道を、まっすぐに。
ただただ、勝利をもとめて。

ならば、今こそ。

放つときなのだろう。
この夜空に、自分の炎を。

皆との絆を確かめるためのものではなく。
皆に、自分がここにいたことを示すためのものを。

脚を止めて、脚をしっかと開き。
高らかに夜空に手を伸ばし。

「これが、私の戦いの狼煙よ!」

─── ボゥ ッ ───

辺り一面を照らすほどの炎が、空へと放たれる。

今、マーズは目指す中央広場への入口、すなわち迷宮の出口をその視野にとらえていた。

結界によって異界と化した自然公園。

この結界を結界たらしめている、基点。
何らかの魔法装置があると思われる場所。

この戦いの決着の地。

降りしきる雨の中、今、ついに。

マーズはその地に立つ。

自然公園の中央広場。

そこは高く組まれた丸太の壁によって囲まれている、円形に縁取られた空間。

芝生が広々と広がっている。

入口からほどなく離れた場所に、外灯、そして隣合わせに時計台が立っている。

自然公園の要所に設置されている音響スピーカー、そのひとつがこの中央広場にも中央広場の時計台にも設置されていた。

その横に。

結界の基点は予測通りそこに。

しかし予想とは異なる形で存在していた。

中央広場に設置された巨大なモニュメント。……を思わせる何か。

「なるほど、ね」

不敵な笑みを浮かべる。

向けられた視線の先に、”それ”は立っていた。

泥の巨人。

体長4メートルはあろうかという巨躯の泥人形。

剥き出しの岩肌のように隆々とした四肢。その表皮には泥が流々と流れ、頭部には怪しく光る赤石が埋め込まれていた。

頭部に埋め込まれた四つの赤石を基点に、巨人の頭頂部から肩にかけては奇怪な文様が刻まれている。

その肩には、一羽の黒々としたカラスがとまっていた。

( 基点そのものが結界の番人、ってことね……まったく、いい性格してるわね )

未だ姿の視えない結界の主に胸の内で皮肉を言いつつ、マーズは泥の巨人と対峙した。

■■

広場の時計台の横に立つ、肩にカラスをとまらせた一体の泥の巨人。

それ見据え、一歩一歩進みながらマーズが語りかける。

「こんにちは」

その口調は、どこか気軽で。しかし力強く。

「ああ、別に。人形に話しかける趣味はないのよ。そういうのは小さいころに卒業してるから」

しっかりとカラスを見つめながら、炎の少女戦士は言った。

「あなたに。あなたに言っているの。結界の主さん」

そのマーズの言葉に対し、カラスが答える。
カラスらしい甲高い声の、人の言葉で。

「うん、もちろん。その辺りはちゃんとわかっているよ。火星の美少女戦士、セーラーマーズ」

距離にして8メートルほど。

見上げるマーズと。
見下ろすカラス。

今、カラスを使い魔として決着の地へと送った結界の主と、セーラーマーズは対峙していた。

「ひとつ、聞いていいかしら?」

マーズの問いに、カラスが答える。

「どうぞ」

うなずきながら、言葉を続ける。

「僕は君の先ほどの戦いぶりに、心から敬意を感じている。ひとつと言わず、いくつでも聞いておくれ。君の質問には誠意をもって答えたい」」

マーズは、少しだけ意外そうに目を開き、言った。

「……へぇ。気前がいいのね」

カラスは笑う。

「ああ。約束しよう。この戦いにおいて、僕は君の問いには全て正直に、嘘偽りなく答える」

「……なるほど。頑張ったご褒美ってわけね。じゃぁ、遠慮なく」

マーズも少しだけ、笑う。

( さすがに、今の言葉をそのまま信じるわけにいかないけれど )

憎い敵であっても、自分の健闘を讃えられたなら、悪い気はしない。

そして不思議と。妙な信頼を感じた。

この敵は今、自分の戦いを目の当たりにし、それを高く評価している。

ならば、私も『嘘は言わない』というその言葉を、少しは信じてあげてもいい。

「今、この結界に囚われている人はいるの?」

この結界の管理者と相対したときは、まず最初に聞くべき質問は決まっていた。

落ち着いた口調で。
しかし。

この問いに関しては、絶対に嘘は許さないという強い意思をこめて、マーズは訪ねた。

マーズの質問に対し、カラスはしばらく沈黙で答え。そして言った。

「……いない。今、この結界の中にいるのは、僕と君たちセーラー戦士。それだけだ」

その言葉に、マーズもしばし沈黙する。

「……あなた、ひとり?」

さすがにそれは信じがたい。

この規模の結界はまず間違いなく起動後は、遠隔操作などできないはずだ。

結界内で管理する必要がある。
それほどに複雑かつ大規模の魔法装置をひとりの人数で運用できるなどさすがに考えられない。

のっけから先ほどの『嘘はつかない』という宣言を裏切るのか、というマーズの怒りをその表情から察したのだろう。

カラスは続けた。

「正確には、今この結界の中にいるのは君たちだけだとも言える。いわば今、僕はこの結界の意思ともいうべき存在なのだ」

予想もしなかった答えに戸惑うマーズに応えるように、カラスは続けた。

「僕は、この結界を作る事に熱中するあまり、この結界に自分の体を同化させてしまった妖魔なんだ」

「結界そのものが……妖魔?」

絶句するマーズに、カラスが答える。

「セーラー戦士を相手に確実に勝利する、そのために作った結界だ。結界のコンセプト、機能そのものに魔術師としての力と誇りをすべて注ぎ込み、自分の肉体さえ捧げてしまったほどの代物だ」

そこまで言って、カラスは続けた。

「ここまで言えばわかるだろう」

「普通の人間、凡百凡俗の類。そのようなつまらない奴らを、そのような雑味を。この神聖な戦いに混ぜるわけにはいかないんだよ」

結界の主の、その性格と性質をあからさまに示す一連の説明を聞いて、マーズは確信した。

─── ああ、なるほど。
─── これは、かなりタチの悪い敵だ。

「……わかったわ。囚われている人はいない、それだけ聞ければ十分」

マーズの返答に、しかしカラスは首を傾げた。

「……いや、わからないよ」

「最初に訪ねる質問が、仲間の安否についてではなく、見ず知らずの人間に関わることなど」

「どうしても理解できない。よければ、わかるように説明してくれないか」

その問いに、マーズは『それは……』と一瞬、口ごもり目をそらしつつも。すぐにカラスへと向き直り、はっきりと強い口調で答えた。

「私たちが、『愛と正義のために戦うセーラー服美少女戦士』だからよ」

「…………」

沈黙するカラスに対し、マーズもまた沈黙する。

「……いや、自分で言っていても恥ずかしい、って思うことも……あるんだけどね……」

顔を赤くする少女に、カラスが答える。

「いや。なにも恥じることではないと思うよ。愛と正義のために戦うことは立派なことだと思う。

ただ、ここで一般の人間が結界内に囚われていることと、それがどう関わるのかを知りたい」

そのカラスの問いにマーズは、虚を突かれたような顔をしたが。すぐに気を取り直したのだろう、その理由をはっきりとした口調で述べた。

「私たちにとっては見知らぬ人でも」

「きっと、誰かにとってはかけがえのない愛する人なのよ」

「誰も、大切な人を傷つけられたくはないでしょう?」

「だから、そんな誰かのために、私たちは戦う」

「誰もが持っている力を、与えられたわけではないのだから」

そのマーズの言葉に、カラスはしばし無言で答え。
やがて、くつくつと笑い始めた。

そのカラスの笑いに、マーズもまたくつくつと笑う。

「……ね? 笑っちゃうでしょ?」

マーズの言葉に、カラスが笑いながら答える。

「いや、笑ってはいけないと思うのだ。大いなる力には大いなる責任がともなう。君たちは本当に、本当に立派だと思う。……しかし、だ」

たがいに、くくく、と笑いを噛み殺しながら。
理解を深め合う。

自分たちは、決して相容れない存在なのだと。

対峙し、それを確認する。

「君たちは尊いよ。セーラー戦士」

「ありがとう。でもあなたは最悪ね。結界の主」

それぞれが、互いの見解を正直に述べあう。

楽し気に。嘘偽りなく。

笑う結界のカラス。

「はは、最悪か。自分でもそう思うよ。こんな結界づくりに夢中になってわが身を見失うほど。僕は、ろくでもない物を作ったり使ったりすることが大好きなんだ」

「……うわ、気持ち悪い。結界を作る前は何をやっていたの?」

マーズも、思うところをそのままに口にする。

「うん、色々とやっていたよ。魔法も魔道具もかなり色々と使える。自分で言うのもなんだけど、凄い魔術師さ。でも、どれかひとつ。何かひとつを選べと言われると……」

「聞きたいわ。若い女の子ばかり狙う卑怯でゲスな変態野郎が、これが自分の生業(なりわい)だと思うお仕事は何なのかしら」

語り合う。

「本職はネクロマンサー、いわゆる屍使いさ。魔法は色々と使えるけど。本当に熱中してしまうのは、人間の死体を使った人形作りだね。この結界の泥人形もその技術を応用したものさ」

「……ああ、なるほど……。やっぱそうなんだ。泥人形を焼いたとき、すごく嫌な臭いがしたもの。生きた人間を無理やりねじ込んだりしたの?」

深いところまで。語り合う。

「ああ、生きた人間を弄ぶほど楽しいことはないからね。屍人形ほどじゃないけど、生き人形のコレクションもいっぱい持っているよ。……でも、この結界と同化してから何か月か経っているし。餌をあげてないから、みんな死んじゃっているかも」

「……はは……凄いわね。……もう怒りを通してあきれて、色々と諦めるしかないというか。どんな環境に育ったなら、あなたみたいなのができるんだろ?」

お互いに知る。互いのことを。

「妖魔の貴顕、魔界の貴族の出さ。君たちが殺し合いをしたダークキングダムの連中とは、色々と協力関係にあってね」

「ああ、なるほど。あなた、ダークキングダムの残党なんだ。だったら、この一般人から生命エネルギーを奪い取る所業にも納得がいくわ」

語り合う。笑顔で。

「冗談じゃないよ、あんな連中の『残党』呼ばわりされるなんて。さすがにこれは見逃せないな。僕はあいつらの風下に立ったことはない。あくまで、協力関係。この結界作りも相応の報酬を前払いで得た上での、仕事だよ」

「…ごめんなさい、貴族の方も仕事とかすると思っていなくて。でもそうね、確かに。ダークキングダムの奴らの中にも、ここまで危ないのはいなかったわ。」

時に誤解を挟みつつも。語り合い。
やがて互いの触れてはいけない部分に、触れていく。

「……やだなぁ、さっきから。最悪とか。気持ち悪いとか。もう少し、友好的であって欲しいな。今回、カラスを使い魔に選んだのは君への配慮だったのに」

「……あは。どういうこと?」

「僕にこの結界作りを依頼した、四天王のひとりから色々と聞いてね。君、セーラー戦士になる前はカラスしか友達のいない寂しい『霊感少女』だったんだろ?」

「……うん。そうね。でもそれが?」

「そんなカラスが大好きな少女のために、わざわざカラスを使い魔に選んだんだ」

嗚呼、そういうことか。
この敵は、そういう類の敵か。

そう理解したあたりで、マーズも相手の『痛いであろう場所』を突く。

「さっきから、協力関係とか。依頼とか。やたら、ダークキングダムの奴らとは『対等な関係だった』みたいに言っているけど」

「……うん。それが?」

「本当はダークキングダムに入れてもらって。四天王の誰かくらいになりたかったんじゃないかなー、とか。……そう思っちゃうんだけど?」

このマーズの問いに、結界の主は長く沈黙で答え。

ようやく、答えた。

「……その問いには、答えかねる。自分でも、うまく整理できない感情があってね」

「へぇ。そう。そうなんだ。可哀そう」

はじめて出会った敵同士のものとは思えないほどの、打ち解けた対話の果てに。二人は双方の結論を示す。

結界の主が、カラスの口を通してその意思を示す。

「セーラーマーズ。僕は君が本当に気に入ったよ。君には最悪の死をプレゼントしたい」

セーラーマーズもまた、それに応える。

「あはは。結界の主。私もね、あなたを破滅させたかったりするの」

マーズはその覚悟を示す。

「絶対に。二度と。私たちの世界に手出しできなくなるようにした上で。この『誰もいない世界』の中に閉じ込めてやろうと思ってる」

そのマーズの意気ごみに応えるように。結界の主は言った。

「……ふふ。いいね。じゃぁ、僕を『破滅させる方法』についても、聞いてみるかい? セーラーマーズ」

「…………!?」

マーズは言葉を失う。

まさか。まさか。

『この結界を、破滅させる』

その方法についても、この結界の主は

『 この戦いの中で、問われたことは正直に答える』

という当初の宣言のままに、答えると言うのか。

しかしそれは……。

この結界の主にとっては、あまりにもリスクが大きすぎるはずだ。

なのに……なぜ?

「………いったい、どういうつもり……?」

かろうじて、マーズがその言葉を口にしたとき。

突如。

マーズが立つ中央広場に立つ時計台、そこに設置してある園内放送用の音響スピーカーが大音響で金属音を響きかせた。

虚を突かれ、思わずスピーカーの方を見上げるマーズと結界のカラス。

その二人の耳に届いたのは、セーラーマーキュリーの声。

「「 セーラーマーズ! その広場にいるの? いたら逃げて! すぐに逃げて! 」」

「「 その広場は危ないの! すぐに! 今すぐにそこから離れて!! 」」

音響スピーカーから響き渡る、マーキュリーの声に結界のカラスがバサバサと悔し気に翼をはばたかせながら、叫んだ。

「 くそ! セーラーマーキュリーめ! 運動競技場に向かったのは雨を避けるためだけじゃなかったのか! 」

結界のカラスの言葉の意味がにわかに理解できず、立ちすくむセーラーマーズ。

「あいつの本当の狙いは、園内各所に設置された放送スピーカー! ……やられた!」

状況を掴めないまま、茫然とするマーズの耳に、マーキュリーからのメッセージがスピーカーを通して立て続けに届く。

「「 マーズ! 私たちは無事! 四人全員、集まって今は自然公園内の野球場、その放送室にいるの! 」」

「「 すぐにこちらに向かって! そのまま5人でセーラーテレポートを使って、この結界を離脱すれば! それで私たちは勝てるの! 」」

「「次元の階層に、並行世界の『界層』の隙間に、この結界は閉じ込められるのよ!!」」

「「 信じられないかもしれないけど! この結界は、そのものが一人の妖魔なの! 自分の肉体と引き換えに、自然公園全体に、自分の意思を張り巡らせたとんでもないヤツなの 」」

「「 そんなヤツが、その中央広場に、かつての自分の肉体を復元させようとしている!! 」」

「「 今、この結界の迷路の魔法も泥人形も全て解除してまでして、その中央広場に何かを起こそうとしている 」」

「「 でも、逆に言えば迷路はもう安全! 迷路に逃げ込んで! お願い、今すぐ! 早く!!」」

大切な友達からの、これ以上ないほどの朗報。皆の無事を伝え、勝利への道筋を伝えるメッセージ。

しかし。

マーズはただただ、棒立ちのまま聞き入るしかない。

マーズの視線の先で、マーキュリーからの声を届ける放送スピーカーは響き続ける。

「「 私たち、わかっているから! マーズ! あなたはこの雨の秘密に気づいて……。私たちのエナジーを吸い取る雨の力が強くなる前に、そちらに向かったんでしょう 」」

「「 だからあの時、マーズは自分の居場所を伝えたくなかった! 結界の主に、二者択一を強いたんだよね! 自分ひとりを仕留めるために雨の力を強くするか! 私たち四人が結界の奥深くまで踏み込むまで、雨の力を弱いまま維持するか 」」

「「 でももう大丈夫! 大丈夫だから!! 」」

「「 この戦いは……」」

そのマーキュリーの言葉を遮るように。
突如、巨人の泥人形が腕を振り上げスピーカーを叩き壊す。

マーキュリーからの声がとぎれ。

しばらくの静寂の後。

本当に、悔しそうに結界のカラスの声がぽつりと言った。

「勘弁して欲しいな」

状況を理解できないマーズに対し、何かを諦めたように首を振りながら説明をする結界のカラス。

「……認めたくないが、この戦いはどうやら僕の負けだ」

唐突な敗北宣言に、マーズは言葉を失う。

そのマーズに対し、結界の主のカラスの口を通して説明する。

「覚えているだろう? ジュピターのゼウスの雷を思わせるほどの、大暴れを」

「あのジュピターの大暴れの最中に、セーラーマーキュリーはこの結界に侵入解析、いわばハッキングを仕掛けていたのさ」

「例の小型コンピューターを使って、ね」

愕然とするマーズの表情を見て、結界のカラスは少しだけ愉快げに笑った。

「僕はセーラーマーズ、君にではなく。セーラーマーキュリーに敗れるってわけ」

「……何、それ……」

無意識にマーズの形の良い唇から漏れたのは、わずかながらも不穏なものを含んだ声。

そのマーズの反応に、結界のカラスは愉快げに翼を広げてみせた。まるで肩をすくめるように。

「質問してくれるかい? 『セーラーマーキュリーは何をしたの?』と。僕はその質問にも、本当のことを答えるだろう。……嘘偽りない悔しさを込めてね」

その問いかけに、マーズもまた怒りを含んだ表情で応じる。

これほどの覚悟で挑んだ戦いが、自分のいないところで決着しつつある状況は、にわかに受け入れがたい。

カラスの言葉のままにそのまま

「セーラーマーキュリーは何をしたの?」

と、結界の主に問いかけた。

まるで。

童話の中で悪魔に手玉に取られる、無垢な少女のように。

巨人の肩にとまり、マーズを見下ろしつつ。

まるで身振り手振りしながら講義する講師のように、結界のカラスはマーズに説明した。

「結論から言えば、すでにこの結界の多くの情報はセーラーマーキュリーに掌握されている」

「迷路の地図作成、マッピング。泥人形の配置位置。それら全てが、リアルタイムで」

「彼女はご自慢の小型コンピューターに自分のエナジーを流し込み、まるでハッキングをするようにこの結界の内部に解析プログラムを打ち込んだのさ」

話の内容をにわかには理解しかねるマーズの表情を楽しむように。結界のカラスは言葉を続ける。

「本来なら、そんな隙は見せないんだけどね」

「でも、例のジュピターの大暴れ、実は僕、あれで死にかけたんだよ。この結界は僕そのものだろ? たとえ一部と言えど、無理やり破壊されるのはキツイ」

「ジュピターのやったことは、麻酔なしで奥歯に回転するドリルをブチこんだようなもんなんだ。何度も、何度もね」

カラスの説明はわかりやすかった。
思わずマーズは『うわぁ』という顔をする。

カラスは説明を続けた。

「……死ぬほど痛いよね? ショック死しかけるほど。そりゃのたうち回る。あちこち、結界の壁の中にひずみが生まれる」

「ジュピターの大暴れから遠く離れた場所で、セーラーマーキュリーはジュピターのことを気遣いながらも。こちらの気づかない形で迷路の壁の中に、マーキュリーは解析プログラムを打ち込み、それをもとに『この結界の成り立ち』、つまり僕の記憶にまで侵入してきたわけ」

「まぁ、さすがにそのあたりで違和感に気づいて、一度、意識をシャットダウンして。解析プログラムをリセットすることはできたけれど」

「……でも、そのころにはこちらの意図はすべて見透かされてしまっていた、というわけ」

そこで、一息いれつつ。
カラスはマーズに自分の真の目的を告げた。

「この結界を使って、君たちセーラー戦士に勝利をおさめ」

「かつセーラー戦士、全員からエナジーを奪い。自分の失われた肉体を復元する、という僕の狙いをね」

一連の、自分では見えない場所でおこなわれていたせめぎ合い。その内容にセーラーマーズは絶句した。

( ……凄いな。やっぱり、セーラーマーキュリーは凄い。さすがはIQ300、やることも桁外れだよ )

ただただ、感嘆するしかない。
それと同時に、打ちひしがれる。

( ……でも。全部は、持って行かないでよ)

セーラーマーズは先ほどのマーキュリーからのメッセージを思い出し、唇を噛む。

「「 でももう大丈夫! 大丈夫だから!! 」」

─── ……なに、それ。
─── ……なにが、大丈夫なの?

ドロリ、と。
まるで、泥のような嫌な感情が。
自分の中から湧き出るのがわかる。

─── 結界のことは、色々わかったんだね
─── ……はは、凄いね。良かったね
─── でもね……

『「 だからあの時、マーズは自分の居場所を伝えたくなかった! 」』

脳裏に響く、マーキュリーの言葉。

『「結界の主に、二者択一を強いたんだよね! 自分ひとりを仕留めるために雨の力を強くするか! 私たち四人が結界の奥深くまで踏み込むまで、雨の力を弱いまま維持するか 」』

─── 私の事までわかったように言わないで
─── そこまで、考えてなかったよ。私

ドロリ、ドロリ、と沸き起こる妬みの感情。

『この戦いは、亜美ちゃんの力で勝ったんだ』

それが、ただただ悔しくてたまらない。

「 ─── というわけさ。この話はここでおしまい」

バサリ、バサリ、と。

泥人形の肩から、離れ。舞うように。

結界の主が、セーラーマーズの前で羽ばたく。

「さあ、もうお帰り。お友達のもとへ」

カラスが地上に舞い降り。
地面から、名残惜しそうにマーズを見つめる。

「 ─── 有難う。楽しかった。君との会話は、とても楽しかったよ。セーラーマーズ」

そのカラスの言葉に、マーズは苦笑しながら答える。

「……私も……と言いたいとこだけど。やっぱ駄目。あなた、気持ち悪いもん。なんで死体とか弄びたがるかなぁ」

まるで、いたずらな少女のように。
ごくごく普通の少女のように、マーズは笑う。

「でも、ちょっと不思議。いつもの私なら、絶対に許せないことばかり言っていたのに。なぜか、今日は、いつもと違うノリだった」

「……それは君が、僕という悪魔に魅入られつつあるからさ」

少女の言葉に、カラスは答える。

「ねぇ、セーラーマーズ。僕も、なぜか。いつもと違うノリなんだ。今なら、君を黙って見送れる気がする」

そのカラスの言葉に、頷きながら。

マーズは寂しげに笑い、「うん、バイバイ」と答え。

「あなたとの会話、ちょっと楽しかったかも」

と、少し悔し気に認め。

そしてはにかむように照れるように言った。

「……でも、ごめん。やっぱ、あなたは気持ち悪い。死体で遊ぶとか、やっぱ無理。……さよなら」

「……はは。振られちゃったね。うん。さよなら」

そう言って、飛び去ろうと背を向けるカラスの後ろから。

セーラーマーズは、その手から放つ炎で、カラスの片翼を焼いた。

「…ぎっ……あ……っ!」

一瞬、何が起きたかわからないように叫び。そのまま、炎にまといつかれ羽根をばたつかせ、生きたままに焼かれる痛苦に悶える結界のカラス。

「な、何をする……!?

君はあのまま、少しだけ、僕を許して。結界を去るつもりじゃなかったのか!」

そのカラスの問いに、マーズは笑って答える。

「……はは。知らなかったのかな、妖魔のボク」

子馬鹿にしたように。いたずらっぽく。
可愛らしく。セーラーマーズは言葉を続ける。

「女は嘘をつくものよ」

そのマーズの言葉をにわかに理解できない様子で、結界のカラスはマーズを見上げ。

そのまま、マーズの赤いヒールに焼かれなかった方の片翼を踏みにじられた。

「……さて、結界の主。あとちょっとだけ、私の質問に答えてくれるかな。正直に、嘘偽りなく。本当のことを」

マーズの言葉に、結界のカラスは何かを察したように。マーズの目を見つめ。

そして応じた。

「……やめろ。聞くな。聞かれたら、答えてしまう。しかし、その後は……」

そのカラスの言葉を遮るように、マーズは強い言葉でカラスに問う。

「 あなたを破滅させる方法は、まだ他にもあるのでしょう? それは何? 」

セーラーマーズは、自覚していた。

自分でも「これは完全に間違っている」とは、わかっていた。

完全に、友達への裏切りだ。
そう理解していたけれど。

でも、止まらなった。

破壊と狂乱の軍神マルスの象徴星、火星。
それを宿命の星とする者として。

その、破壊と狂乱の果てに、自分だけの勝利が欲しかった。誰かに横取りされるなんて、耐えがたかった。

涙をこぼしながら、マーズは笑う。
口を醜く歪めて笑う。

翼を焼かれて地に落ちたカラスを蹴り飛ばしながら、笑う。

「 ほらっ! ほらっ! 答えなさいよ、カラス!」

「何が『死体を弄ぶのは楽しい』よ、なにが『本職はネクロマンサー』よ!」

「そんな外道、愛と正義の味方の美少女戦士セーラーマーズとしては見逃せるわけないでしょう!」

カラスを足蹴にしながら問う。

「ほら、なんとか言ってみなさい! 私をどうしたい! 許せない? 殺したい?」

楽しそうに笑いながら、笑う。

「あははははは! 何が『セーラー戦士と出会うまでは友達がいなかった霊感少女』よ!?」

「何、本質突いてきてんのよ! 心の傷のど真ん中をえぐってくれちゃって!?」

「正直、あのとき『あー、こいつこの手で殺すしかないわー』って思っちゃったってば!」

セーラーマーズに足蹴にされながら、カラスも舌戦で応戦する。

「何が正義の味方だよ、この性悪女!」

「許せない? 殺したい? もうそんなレベルの憎しみでおさまるもんか!」

どこか、必死にマーズのヒールから逃げ回りつつ。でもどこか楽し気に。

「女の子にヒールで踏みにじられるとか! 冗談じゃないよ! こんなのを喜ぶ人間もいるらしいけど、本当に理解に苦しむ!」

「何が妖魔のボク、だよ! 子供扱いしやがって! そういうの傷つくんだよ!」

「この動物愛護精神の欠片もない、馬鹿! つか、痛いんだよ、本当に! いたたたた、いたい、いたい」

ついに。マーズのヒールがカラスの背中の中心を捉え、そこにわずかに体重がのしかかる。

使い魔のカラスとして、死にかけつつある結界の主が、ここで。諦めたようにマーズに問うた。

「……本当に、こんなので僕を殺せると思っている?」

マーズは笑う。地に這う結界の主を、高みから見下ろしながら。

「ううん? でも、モノは試しって言うじゃない? あと駄目でもともと、とか」

マーズの答えに、カラスは答える。

「そんな軽い気持ちで殺される身になって欲しいね」

そして、一言。

「……うん。もう満足した。
カラスとしての楽しい時間は、もう終わりだ」

じゃれ合いの終わりを、告げた。

結界の主、カラスがマーズに言う。

「問え、セーラーマーズ。この結界を破滅させる、方法を」

マーズが問う。

「 結界を破滅させる方法は、いくつかあるのでしょう? それは何? 」

カラスが答える。

「ひとつ。結界に破損が発生した状態で、獲物を取りのがしてしまうこと。現世に干渉する力を失い、永遠に次元のハザマに閉じ込められる」

……それこそがセーラー戦士、セーラーマーキュリーが提案した必勝法。

「ふたつ。迷路の壁を力技で破り、この結界の『脱出不可能の迷宮』というコンセプトの破壊。結界の主である僕の人格は崩壊する」

……これはセーラージュピターが知らずにおこなったこと。

しかし、上記の二つの方法をセーラーマーズは今、良しとしていない。

それは自分の求める勝利ではないからだ。

そして。

「みっつ。この広場の降雨施設、雨を振らせる機能を持つ泥人形の破壊。この結界の『命を吸い取る雨を降らせる迷路』のコンセプトの破壊。結界の主の人格は失われる」

この答えこそが。

今宵の『破壊と狂乱』の果てにある勝利を求める、セーラーマーズの求めていた答えだった。

そして、いよいよ。
結界のカラスと、マーズの別れのときがくる。

「先ほどまでのはね、火星にかわって折檻よ、ってやつ。少しは今まで自分が踏みにじってきた人達の無念がわかったかしら?」

その問いに、カラスは答える。

「……うん。そうだね、とてもとても、つらいものだね。踏みにじられるというのは」

マーズの赤いヒールに骨を踏み砕かれ、ペキペキと。
骨を折られ、死にゆく中。

カラスはマーズに忠告した。

「今、ここで使い魔のカラスを殺した瞬間。ぼくの魂は、この公園に空間魔法で移動させた『とっておきの人形』に転送される」

「……肉体は魂の器とは良く言ったものでさ。そいつの肉体を得た瞬間、僕はもう今の僕ではなくなる。思い出してしまうんだ、色々と」

死にゆく中、カラスは自分を焼き、足蹴にし、そして踏みつぶして殺したセーラーマーズに顔を向けて。

心からの謝罪をした。

「先に謝っておく。そいつが、僕の本性だ。間違いなく、最悪で最低の下衆野郎だ。きみがぼくにしたより…」

「…たくさん……たくさん……ひどいことを……か……くご……しておいて……」

最後に、カラスはマーズに命をふり絞るように言った。

「 ……にんぎょう……のっ…、…あっか、……をっ、……を……破壊だ……完全に…………」

「……け……」

そのカラスを、マーズは思春期特有の情念に取りつかれた少女のうるんだ目で。

狂気じみた目で、嬉しそうに笑った。

「……うん。わかった。大丈夫、そいつも殺すから」

突如。

空間が歪む。

赤い石が埋め込まれた、巨人の泥人形の傍らの空中に現れた巨大な魔法陣。

その魔法陣から、ずずっと、肉色の人形が現れる。

背丈はマーズよりも少し低いくらいの、端正な体つきの半裸の人形が。

顔は口と鼻以外のパーツがなく、他はつるりとした『デッサン素体』のような外見。

腰にはただ白い布を巻き、見ようによってはある種の芸術作品のような。『理想的な少年の体』とも言っていいほどに、均整がとれた体つき。

マーズの眼前で、ゆっくりと姿を表す。

その様子を見つめながら。

セーラーマーズは動かなかった。否、動けなかった。

その、あまりにも規格外の、禍々しい妖気に気圧さていた。

________

微動だにできないマーズに向き直り、その少年の姿を模した肉色の人形は、気軽に手を振り。

「……やっ! セーラーマーズ、こっちの僕の方が断然いいだろ? 素敵だろう?」

と陽気に話しかけ。

「君は。ただ殺すだけじゃ済まないから」

はっきりと、血の凍るような声で言った。

「……何が『気持ち悪い』だよ? カラスの時はさんざんに言ってくれたよね。他にも色々と。全部全部、僕が受けた痛みは色々諸々の特典をつけてお返しするからね」

そんな事を言いながら、動けないマーズに向けてゆっくりと近づき。

後ずさりするマーズの足元にあったカラスの死体をひょいと摘まみ上げ。

「あ、でも。コレをちゃんと殺してくれたことには感謝するかな」

とマーズに笑いかけた。

「……ええと、何? 何ていうのかな、僕の中の『創造的欲求』とか言うやつ! ひとつの作品に文字通り身を削り命を費やすほどの、クリエイター魂? みたいな?」

「あと何か、年頃の女の子と悪口を言い合っちゃうような甘酸っぱい時間に、憧れちゃう少年の心みたいなやつ? なんかそういう感じのやつ」

「いわば、僕という人格の一面や欲求を色濃く反映した何か、だったりもするのだけど」

そんなことを言いながら、その少年の姿の人形はそんなカラスの死体を、ボっと。

指先から吹き出た黒い炎で一瞬で燃や尽くし、肉色の結界人形はスッキリしたような様子でけらけらと声をあげて笑った。

「いらない、いらない! そういうの! 世の中にはもっとお気軽で、もっと面白い事がいっぱいあるんだから!」

そのまま。

動けないままのマーズへと向き直り。

結界人形は言った。

「あ、なんか? さっき、言ってた? カラス殺した後で『そいつも殺すから』とか、そういうの。……それって僕のことだったりする?」

________

あくまで軽く。しかし、攻撃的に。

「…いや、いいんだけど? 別にさ。この場で、この人形とやりあってみる?」

そして、卑しく。

「でも、それはそれでもったいないじゃん? ここまで舞台を整えたで? ストーリー的には何してんの、とかなるわけよ」

そして、大きく両手を広げて笑った。

「そ! ストーリー! 人生はストーリーなわけだ!!」

パン パン パン パン と手を叩き。

結界人形は笑う。

「はーい! ようやくー! ようやくですぅー! お待ちかねの凌辱の時間が始まりまーす!」

「お客さん、帰ってきてくださーい! あー、でもでもー! そもそもー! いるんですけどー! エロ作品で、いきなりエロの凌辱パート作品から読み始めるやつとかー!」

結界人形は、ハイな感じで笑う。

「でもそんなヤツらに言いたい!」

「そんなんだから! 『おまえら、あんまいい人生送れてないんだよ』と言いたい!」

結界人形が、もうヤケクソな感じでハイになって叫びまくる。

マーズを指さしつつ、天に向かって吠えるように大声をあげる。

「……この! なんか勘違いしたネーチャンが! グチャグチャにされるカタルシスを楽しむにあたっては!」

「最初から丁寧に、ストーリーそのものに色々と問題があっても、我慢して物語に付き合う!」

「そーいうタイパ度外視の取り組みの姿勢こそ! 長期的視野において、よい人生を送るための心構えでなかろうか、と!」

もはや、あっけに取られるマーズの前で。

結界人形は、吐き捨てるように言った。

「わかんない? 神様に今、喧嘩売ってんだよ。僕は」

ぱん、っと大きく手を鳴らし。

「はーい、今日の儀式終わりー。じゃー、はじめようかー」

肉色の少年の姿をした結界人形が、マーズの前に向き直る。そして、親指で自分を指さしつつ言った。

「…あ、まず。大前提として。今、この僕の魂が宿っている人形を壊しても駄目です。これ、あくまで結界の主である僕がこの戦いを楽しく最前線で見届けるための道具です。……つか、たぶん君では壊せません」

「別に侮辱してるわけでないよ? この『肉色の結界人形』はそういう舞台装置なの。まぁ、そこはもう納得してもらうしかないとして」

「そろそろ、ストーリーの方、再開しちゃうけどいいかな?」

などと、抜け抜けと口にする。

そんな、突如として現れ、ガラリと空気を変えたその人形を前に、ようやく我を取り戻したのか、マーズは悔しげに言った。

「……ええ、そうね。お願い」

はぁあ、と大きく息を吐き。

数秒、目をつぶり。

気を取りなおしつつ、広場に立つ巨大な泥人形に向き直る。

「私が壊すべき人形はこのゴーレムみたいな土の巨人でいいのね? 結界の主さん」

そのマーズの言葉に、結界人形が笑う。

「いいね、その切り替えの早さ! そうそう、さっきまでのカラスも僕! この気持ち悪い人形も僕! ……つまりはそういうことさ」

そして、やや声を引き締めて、その結界人形は空を見上げた。

降りしきる雨の空を。

「 幕間劇は終わりだよ。神様」

空を見上げて意味のわからぬ言葉を口にする、あらたに現れた結界人形。

それを前にして。

ああ、そうか、と。
マーズは理解する。

なるほど。あのカラスの最後の言葉のとおりだ。

あれはきっと、本当に『最悪で最低の下衆野郎』なのだろう。

ああいう頭がおかしなヤツなら、本職は人間の命と死体を弄ぶネクロマンサーだと言われても納得がいく。

自分を見つめるマーズを前に、結界人形は笑う。

「おいおい、セーラーマーズ。君の相手は僕じゃないよ、こっちの方だろ?」

そう、土の巨人を指さし。

「……さぁ、はじめたまえ。互いを破滅させるべく。僕と君は、今から戦いを始めるんだ」

告げる結界の主。

しかし。

少しだけ首を振ったあと、マーズは真剣な眼差しで結界人形を見つめ。そして言った。

「待って。大事なことを、今いちど確かめたいの」

「あなたがカラスだったときの約束。『この戦いで、私が訪ねたことには本当のことしか言わない』という、貴方の宣言。あれはまだ、有効なの?」

結界人形は答える。

「……ああ。当然だろ。それは弁えているさ」

炎のセーラー戦士は笑う。

「ならば、聞くけど。あの大きな土人形を壊したら、あなたはどうなるの? あれを倒して、この自然公園の結界、全体に雨が振らなくなったなら。この結界はおしまいなんでしょう?」

その問いに対し。

「答えない」

と。一言、結界人形は応じた。

「……なっ」

思わず目を見開くマーズに対し、人形は言う。

「黙秘権まで放棄する気はないね」

「……そうだな、あと。ひとつ、はっきり言っておく。ひとたび、火蓋を切ったらその先は殺し合いだ」

「君があの巨人と、戦闘を開始した後は。もう慣れ合う気はない」

「敵味方にあるまじき、なれ合い、じゃれ合いも。ストーリーを進めるうえでは必要なときもある。けど、もうそれも十分だろ」

ふたたび、この公園に現れたときのように。

黒く禍々しい妖気を吹き出し始めた、その結界人形を前に。

ようやくマーズも理解する。

ああ、そうね。これはそういうストーリーだった。

ならば、今一度。確かめるように。問う。

「……この公園の、雨を降らせている土の人形を、完全に破壊したなら。この結界は瓦解する。この解釈でいい?」

「……それは正しい。『生命力を奪う雨』と『迷路』の組み合わせの妙。そのコンセプトに惚れ込んだ、ある魔術師の妄執。それが失われたとき、結界は成立しなくなる」

結界人形の答えに、満足しつつ

「そう。あと、ひとつ……」

マーズが問おうとした時。

結界人形は、少し溜息をついた。

「……ああ、もう。やっぱ今日はもうお開きにしようか。ちょっと幕間劇が長くなって、主演女優さんは気が抜けたようだ」

「え?」

にわかに結界人形の言葉の意味がわからないマーズに、結界人形がけたけたと笑いながら言う。

広場への入口、つまり迷路への入口を指さしながら。

「ほら、お帰りはあっちだよ。迷路はもう安全だって、さっきお友達が園内放送してくれたろ?」

その言葉に、ようやくマーズも結界人形の言わんとするところを意味する。

そして。

「わかった。……そうだったわね。私は、あなたとおしゃべりを楽しみにきたんじゃない。

この戦いに。勝利しに来たんだった」

気づかないうちに、生命力を削っていく。
そのような、悪意に満ちたエナジードレイン雨が振る中。

今、セーラーマーズは再び、泥の巨人と向き直る。

両者から少し離れた場所に、屋根のある休憩所。
そこのベンチに腰かけ、結界人形が両者の出方を見舞っている。

「……ようやくか」

結界人形が、ぼそりとつぶやく。

「 色々と、本当に多くの時間をかけたけど。ただ、今から始まるこれがみたいがために。僕は、頑張ったんだっけ」

その目線の先にあるのは。

『愛と正義のために戦うセーラー服美少女戦士』

前世からの宿縁のもと。
大切な友達とともに。
見知らぬ誰かの命を邪悪なものから守るべく。
自分たちの命をかかけて戦う。

その尊さに目を細めるように。

結界人形は、祈るように言った。

「さぁ、見せておくれ。セーラーマーズ。

素晴しい友達に背を向けてまで願った、君だけの勝利。破壊と狂乱の果てにしかないかもしれない、勝利。

君はそれを得られるのだろうか。
得られなかったとき、どのような代償を払うことになるのか。

今、僕はそれが見たくて仕方ないんだ 」

ついに。始まる。

この結界において、セーラーマーズだけの戦いが。

両手で印を結びエナジーを込める。

「ファイヤー……ソウルッ!」

両の人差し指から生じた高温の火球が螺旋軌道を描きながら放たれる。

先手必勝。

迎撃体制を整える間も与えず、マーズは最大火力を叩き込んだ。

!! ボゥオウッ !!

火球は着弾と同時に爆破を生み、周囲の水たまりと降雨を瞬時に蒸発させた。

煙と水蒸気が入り混じった薄靄が辺り一帯を包み込む。
マーズからすれば、自身の炎で生まれた霧によって視界が遮られた状況。

しかし、そんな中でも。

冷静沈着に第二射の準備に入る炎のセーラー戦士。

「…さて。何発撃つことになるのかしら 」

あの巨体を一撃で倒したなどとは微塵も思っていない。

ましてやこの降りしきる吸生雨に晒されては、さしもの必殺技も着弾までに威力が減衰してしまうだろう。

しかし、今のマーズには落胆も油断もない。

燃え上がる闘志と冷徹な思考を両立させているからだ。

とどまることがなく湧き上がる闘志。
しかし、それが敵の過小評価に繋がるものであってはならないのだ。

目の前の敵は頑強。

確実に、着実に。
相手の戦力を削ぐような戦いをすればいいだけのこと。

二発目の火球が生まれたようとしたその瞬間、薄靄が唸りと共に晴れ、泥の塊が飛来した。

「――はっ!」

高速で伸長してきた巨人の腕。
巨大な丸太を投げ込まれるような衝撃。
しかし、それに素早く反応し、跳躍するマーズ。

マーズの残像を擦過した巨腕が背後の木々を薙ぎ倒していく。

着地し、素早く体勢を整えながら巨人が倒した木々の残骸の方へと向き直り。

今なお慣れない霧の中からの、追撃を警戒するセーラーマーズ。

しかし。

「 え?」

晴れた薄靄の中に巨人の姿はなかった。

巨人の腕と思われた塊が、泥を固めただけの柱だと理解したそのとき、突如マーズの背後に気配が生まれた。

(――後ろっ!?)

マーズが振り返ったときには既に、泥の巨人は動作を開始していた。
大木の幹のように太い両腕がマーズの胴を挟み、抱え込む。

「くっ!」

─── 見た目より、知恵が回るタイプか

悔し気に胸の内でつぶやく。

まさか腕に見立てて泥の柱を投げ込んでくるとは。

脇腹にぐるりと腕が巻きついたベアハッグの体勢。

咄嗟に両手を巨人の腕にかけるも、泥でできた肉体とは思えないほどの硬さと力強さに、拘束は微塵も緩むことはなかった。

持ち上げられ、宙に浮いた両足がバタバタと足掻く。

「ぐっ、ああっ!?」

不意に全身を襲った虚脱感に目を見開き、呻きを漏らすマーズ。

巨人の身体を構成する泥は、降りしきる雨と同様にエナジーを吸い取る性質を持っていた。

しかもその吸収力は雨粒の比ではない。

「……ぐっ……ぅあっ」

一気に脱力しかけるほどの、強力なエナジードレイン。

( なるほど……道理よね……)

肌を濡らすことで命を吸い取り奪う雨水が濃縮した泥ならば、当然、その効果も雨水の比ではない。

常人とは桁違いのエナジーを保有するセーラー戦士と言えど、このままでは数分と保たないだろう。

「随分手の込んだ人形ね……ホント、いい性格してるわ……けど……」

俯き独りごちるマーズ。絶体絶命の窮地にあってなお、その瞳には闘志の炎が煌めいていた。

「でも……生憎、タチの悪さなら……私も負けてないんだから……!」

巨人の胸元に鋭く突き入れた右の手刀。

その人差し指と薬指には、一枚の御札が挟み込まれていた。

巨人に背後を取られたあのときから用意し、エナジーと霊力を練り込んでおいた文字通りの切り札。

不敵な笑みと共に、札に込められた力を解き放つ。

「悪霊……退散っ!」

!!! ボゴォオン !!!

巨体の内部で反響した鈍い爆発音と共に、巨人の身体が爆散する。

霊力でコーティングされた呪符は、泥の中でも内蔵エナジーを損なうことなく、その力を十全に発揮した。

巨人の胴体が吹き飛び、両腕もボロボロと崩れ落ちていく。

拘束が解かれ、着地したマーズ。

不意にその右膝ががくりと折れ、思わず片手と片膝をついた。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

荒い呼吸を繰り返すマーズ。
撃退に成功したとはいえ、予想以上にエナジーを消耗してしまった。

呼吸を整えながら、油断なく巨人の崩壊を見届ける。

崩れ行く巨人の頭部から、妖気を放つ赤い石が転がり落ちたのを確認すると、マーズはゆっくりと身体を起こした。

 

片膝をついた状態から、無理に脚に力を入れて立ち上がり。

崩れ落ちた巨人の泥人形の前から、油断なく後ずさりしつつ、様子をみる。

足元には、妖気を放つ赤い石。
それに対しても、用心深く距離を取りつつ。

これも壊すべきなのか、と思いおそるおそる手に取ってみるが。
容易に壊せそうにはない。かなりの硬度だ。

「もう……これはちょっと壊せそうにないわね」

そう言いながら、それを再び泥の上に放り投げ。

セーラーマーズが辺りを見まわしたとき。

「……あ……」

気づけば。
あの呪わしい吸精の雨はやんでいた。

おそらく、あの巨人に刻まれていた不可思議な紋様、あれがエナジードレインの雨を公園全体に降らせるための何らかの術式だったのだろう。

巨人を破壊することで、魔の雨が降り注ぐ結界の罠をも無効にすることに成功したということ。

つまり。

この結界に雨を降らす効果を持つ魔法装置は失われたということ。

「……やった……わ」

あの、夜空に輝いた友情の信号弾に背を向け、あえて仲間たちとの連絡を取らない選択を選び。

ただひたすらに、破壊と狂乱の果ての勝利を目指した。

単独で、最短でこの結界の基点を突く、というリスクを犯した。

それは今、確かな勝利として報われた。

マーズは満足げに目をつぶる。

「……やったよ、みんな」

おそらくは今、園内の野球場の屋内施設から窓の外を見つめ、雨がやんだことに気づき、そして驚く仲間たちの表情を想像しながら。

「みんなが遅いから、さ。私ひとりで片づけちゃった」

そんな言葉を口にして、ひとり達成と勝利の余韻に酔う。

実際に皆と合流した後は、そんな事をいうつもりはないが。

それでも、皆のいないところではそんなやんちゃを言ってみたかった。

(みんなとあった後は……平謝りすることになりそうだもん)

単独行動と独断専行。

そのリスクをきちんと認め、皆をこの危険な戦いに巻き込んでしまったことを、きちんと謝るつもりでいる。

友情の信号弾に答えなかったことについても『あのときは後ろめたかったから』などと、苦しい言い訳をすることになるだろう。

特にあの、心配性でお人よしのお団子頭さんは『レイちゃんはいっつもそうなんだから』とかなんとか。そうそう簡単に許してくれないに違いない。

ならば、今このときだけは。

「…でもね、うさぎ。勝ったんだよ。私 」

この雨の結界に足を踏み入れて、初めて。

セーラーマーズ、火野レイは晴れやかに笑った。

突如。

手足がガクガクと震え、マーズは両膝をつく形で崩れ落ちた。

四肢が痺れ、思うように手足に力が入らない。
体全体が鉛のように重く感じる。

「……あ、れ……」

この脱力は、勝利の後の緊張の糸が途切れたせいか。

いや、違う。
おそらく、迷宮の攻略、その後半。

あのときの神がかり的な好調の反動。

降りしきる吸精の雨のハンデをものともせずに迷路の後半を駆け抜け、巨大な泥の人形を相手に大立ち回りを演じたことの代償。

今、マーズの肉体は悲鳴をあげ始めている。

「…はは、そう…。……ボーナスタイムは終わりってこと…ね」

勝利の余韻。

体に宿るエナジーは、まだ余力がある。
しかし、体は思うように動かない。

震える膝に必死に力をこめて、無理に立ち上がりつつ。

マーズはようやく、思い出したように。

広場の休憩所の屋根の下、ベンチに座って自分を見つめる結界の管理者に向き直った。

「……私の勝ちでいいわね?」

先ほどまで、やたら饒舌だった結界の主であったが。

今、その彼の魂が宿っているはずの人形はまったくの無言だった。

「ちょっと。聞いてるんだけど?」

「……結界の基点を守っていた泥の人形は破壊した! 雨はやんだ! 私の勝ちでしょう?」

幾度も問いかけるも、先ほどまでやたら饒舌だったあの人形はピクリとも動かず、何の反応も示さなかった。

先ほどまで、恐ろしい妖気を放っていた少年の姿を模した肉色の人形が、今やほとんど妖気を感じない状態だ。

「……くそっ……。ここにきて……無視を決め込むなんて」

……否。それとも。
本当に、結界が瓦解しつつあるのか。

そのあたりの判断がつかない。

「……せめて君の勝ちだ、くらいのセリフを決めてから消えなさいよ。ちゃんとあなたの提示した条件は満たしたというのに」

そんなことををつぶやきながら。ふと。

降雨装置の泥人形の破壊についての説明にあった言葉を思い出した。

「……そういえば……完全破壊……だったっけ?」」

あの巨人の頭にあった、四つの赤い石。

あれは、砕かなくてはいけないものなのだろうか。

「……そうだ、あれを砕けば……」

そう。今なすべきことは、結界の完全なる解除。

先に巨人の頭から落ちた赤石を探すべく。

マーズは周辺の地面を見回した。

「……あれ……」

おかしい。ない。
あれほどの力を秘めた魔性の石など、見落とすはずがないのに。

あのとき、巨人を倒したとき。
頭部に埋め込まれた赤い石が、宙にこぼれ落ちる様を確かに見ているはず。なのに。

「一個も見つからないなんて、そんなこと……」

このような大規模な結界の性質上、あの四つの石のうちのひとつでも砕くことができれば迷路の結界は解けるのではないか。

そのような期待を抱き、せめてひとつでも見つけることが出来ればと重い体をひきずりながら周辺の地面を探して回るマーズ。

しかし、それでも。見つからないのだ。どうしても。

「ちょっと……! あの赤い石、どこに隠したのよ? 何、ひょっとしてアレも砕かなくてはいけなかったわけ?」

無言でベンチに座り、動かない結界人形の前でマーズはひたすら抗議する。

「くそ……もう、いいわよ。こうなったら…なんとかして……迷路の来た道を戻って……」

そう、マーズが帰路につくべく広場の出口に向かったとき。

しとしとと。

再び、呪わしき結界の雨が降りはじめた。

「――ッ! そん……な……」

少女の唇から絶望の吐息が漏れる。

─── ありえない

この雨を降らせていたのは、あの巨人の体に刻まれていた紋様の術式のはず。なのに。少なくとも、それは確実に破壊したのに。

泣き出したくなるほどの失望感。

しかし、それは。

絶望の始まり、に過ぎなかった。

マーズの霊感が、最大級の危険を告げる。

「……なっ!」

不意に現れた新たな結界の基点の気配。そして。

「うぶっ」

思わず吐きそうになるほどの、地脈の乱れ。霊感の強いマーズにとっては、このような不自然な霊的環境の変化は消化器官を鷲掴みにされるような不快感をともなう。

不快感に耐えきれず、再び地面に膝をつくマーズ。

その、彼女の前に。
地面に浮き上がる、四つの小さな魔法陣。

そして。
もこもこと。魔法陣周辺の土が蠢き。

先の泥の巨人のように、魔法陣を頭からかぶるように頭から肩にかけて異様な紋様が刻まれた泥人形が隆起する土の塊から形作られていく。

「……う……そ……」

消耗したセーラーマーズの周囲を、新たな四体の泥人形が取り囲んでいた。

先の巨人の泥人形とは違い、一体一体は人間の子供ほどの大きさしかないが。そこから放たれる禍々しい妖気の総量は、巨人のそれに勝るとも劣らない。

少し離れた公園のベンチから見守る結界の主の人形の方を向き、マーズは叫ぶように問いただす。

「冗談じゃないわ! どういうことよ? 人形が復活するなんて聞いていない!」

そのマーズの抗議に対し。

結界人形がベンチに座ったまま回答する。

「いいや? この広場に仕込んだ、降雨装置の機能を果たす人形は一体とか一種とか。そんなこと、一度も言っていないけどな」

「ふざけないで! そんなズルはありえ……」

マーズの言葉を遮り、結界人形は声を荒げた。

「完全破壊、だっ! あの赤い石が、降雨装置の要であったことは、見てわかるだろう? なら、なんで最大限の注意を払わなかった!」

「ちょっと触っただけで、壊せそうにない、と無造作に投げ捨てた!」

言い返せずにいるマーズに、結界人形が追い打ちをかける。

「赤い石は、地面に落ちて1分程度で泥の中に取り込まれる。無造作にそれを放置していた君のミスだ」

「カラスのときの僕に、巨人の泥人形の頭を飾る赤い石や紋様について聞いておくべきだったね。でも君は、それも怠った」

「ちなみにそれは、鉄のハンマーなら壊せる代物さ。ポケットに入れて運び、この広場以外の場所で破壊する」

「それが攻略方法だった」

泥人形の説明に、絶句するマーズ。

「なっ!? ふざけないで! そんなの……」

「そのくらいの用心深さ、諦めの悪さは欲しかったね。勝ちたかったんだろ?」

いい加減に理解しろよ、言いたげに結界人形が吐き捨てる。

「破壊と狂乱の果てにしか、得られない勝利もあるだろうさ。でもね、その勝利を得るために、きっと熱狂の後は『臆病なくらいの用心深さ』が必要さ」

マーズの抗議に冷たく答えつつ、結界人形は『答え合わせ』だと言いつつ、説明した。

「仮に巨人の泥人形を破壊し、地面に打倒しても。この赤い石を放置した場合、一分後にそれが泥に沈み5分後には再び別の降雨装置の泥人形となって、復活する」

「だから完全破壊、だと言ったんだ。あんな怪しげな赤い石、せめてこのベンチの上にでも置いて見張るぐらいの事しないとどうするのさ」

「石は四個そろった状態で泥に沈み、四つの魔法陣を組むことで初めて『四体の泥人形』として復活し、降雨装置として機能する」

「せめて石の一個でも、握りしめて。君は無言を貫く僕を放置し、この広場から出るべきだった」

一通りの説明を終え、結界の主の人形ははようやくベンチから立ち上がった。

結界人形は『んっ』と伸びをする。

「……ねぇ? いつまで僕のことを見つめているんだい? 君が倒すべきは、僕じゃないだろ? 」

言葉もなく、自分を見つめるマーズに対し、くいっと人差し指でマーズをとりまく人形達を指さす。

「その四体の『新たな降雨装置を兼ねた、結界の守護者の泥人形たち』だろ?」

この日。初めてマーズは震えた。

『 敗北 』の予感に。

<4>

結界の基点となる赤い石を埋め込まれた泥人形が形を変えて復活するとともに。

マーズの不安と焦りを煽るかのように、上空から降る魔雨が勢いを増した。

ざぁあああっと。

降り注ぐ、という表現がふさわしい激しさで。

結界の基点そのものを自律型の人形に守らせるだけでなく。

仮にその人形が敗れた場合は、基点を新たな形で作り直す。

あまりに周到で大掛かりな仕掛け。

「……こんなの……卑怯……よ……」

じわりと這い寄る悪寒。

背筋を流れる冷や汗が雨水と混ざり、微量のエナジーを引きずりながら滴り落ちた。

構えを取り、周囲を警戒し、思考を巡らせるマーズ。

そこに、響き渡る大音響。

「「 聞こえているか、セーラーマーキュリー!  他のセーラー戦士たち! 」」

自然公園内の全ての区画に響き渡るほどのそれは、その実 自然公園内の音響施設すべてを動員した呼びかけ。

夜の自然公園全体に、結界の主による『反撃開始』の呼びかけが響き渡る。

「「 もともと、この自然公園の施設はすべて僕の管理下にある! 不意を突かれない限り、君たちに公園内の施設を使わせてしまうことないどない!!」

「「つまりは! 今後はこちらからの一方的な呼びかけだ! セーラーマーズを救いたければ、この雨量を増したエナジードレインの中を駆けてくるがいい!! 」」

青ざめるマーズの視線には、宙に浮かぶ魔法陣から空間転移魔法を使ってマイクを取り出し、それに向かって絶叫する結界人形がいた。

「…ふざけないでっ!」

( 冗談じゃない、これじゃホントに私が……みんなを……巻き添えにする形で……)

なんとか結界の主のもとへ駆け寄り、他のセーラー戦士たちへの呼びかけを制止しようとするマーズ。

「やめなさい、すぐにそれをとめ……っ」

しかし、そのような隙をマーズを包囲する泥人形達が許すわけがない。

四体の泥人形は額の赤石を妖しく閃かせ、一斉にマーズへと向かっていく。

(――ッ、速いっ!?)

新手の泥人形は、道中倒してきた人形たちよりも小さく、人間の子供程度の身長しかなかった。

しかし迫りくるその速度と敏捷性は比較にならない。
眼前の四体が身体能力に特化した個体であることは明白だった。

「ファイヤー・ソウルッ!」

先行する前方の一体に目がけ、なけなしのエナジーを絞り出した必殺の業火球を放つ。

炎の螺旋軌道はしかし、更に速度を増した泥人形に容易く回避されてしまった。

「そん、なっ!? ――かはぁっ!」

両手を結んだ構えを解く猶予もなく、懐に潜り込んだ泥人形の腕がマーズの腹部に突き刺さる。

呻きと共に開かれた口腔から、体液と共に酸素が吐き出される。
がら空きになった顎先を、飛び上がりながら放ったアッパーが打ち据える。

「あぐぅっ!? はぁあああぁっ!」

たたらを踏んでよろける炎のセーラー戦士。その左右、後方から後続の泥人形が迫る。

「うぅっ! はぐっ! あうっ! きゃあああああっ!!」

セーラーマーズを中心に高速で行き交う四つの影。
赤石の残光が描く軌跡の中心で、前後左右からの猛攻に晒され悲鳴を上げるセーラーマーズ。

なんとか反撃せねば、とマーズからもパンチやキックを繰り出すも、それはことごとく山猿のような身のこなしでかわされ、その隙を他の泥人形に狙われてしまう。

「こ、この……っ…、……あぐっ!?」

マーズは包囲された状態で戦う不利を思い知る。

さもありなん、マーズが一度に相手どれる敵はせいぜい二体。残り二体の泥人形は、マーズが空振りした隙を狙うか、背後から不意打ちをすればいいのだ。

炎のセーラー戦士を圧倒しながらも、四体の泥人形は決定打を見舞うことはない。

三日月のような歪んだ笑みでケタケタと笑い声をあげながら、泥人形たちは美少女戦士の抵抗を楽しんでいた。

そして、その光景を。

離れた場所から、「ああ、やっと始まった」と言わんばかりに満足げに。

結界人形が、再びベンチに腰をおろして見まもっていた。

「……い、いい加減にしないと……」

消耗しきった体に幾度も打撃を打ち込まれながらも、必死に食い下がるマーズだったが。

!! ザンッ !!

突如、受けた打撃の質が変化したとき。

「あぐっ」

血の気が引いた。

打撃から斬撃へ。
いつしか、泥人形たちは両手を鋭く尖らせ、刃のような形状に変化させていた。

腕で受けて防御したはずの攻撃。
にもかかわらず、そこから鋭角的な痛みが走り、体が硬直してしまう。

そしてついに。マーズの口から悲鳴があがる。

「ああぁっ! あうっ! そんなっ……スーツがっ……! ああああぁぁっ!」

白のロンググローブの一部が切りさけてしまったのだ。

もはや反撃も攻撃を受けることを叶わず、ひたすら身をひねってかわすことに専念するマーズだったが。

「ぐぅっ、あうっ」

泥の刃は標的に斬撃を加えると同時にエナジーを簒奪していく。

剣風と共に舞い散る紅白の断片。それは、セーラースーツの守護が弱まるほどの危険域までエナジーが喪われている証左だった。

「――くっ、ハアッ!」

防戦一方の状況を打破するべく、マーズは炎を宿した右手を地面に叩きつけた。

爆破が泥と雨水を巻き上げ、疑似的な煙幕を形成する。

同時に、マーズは爆発の反動を利用して後方に大きく飛び退いた。

とにもかくにも、この多対一の不利な状況から脱出すること。

この周囲にほとんど遮蔽物のない、この広場という場所はいかにもまずい。

多対一の戦いにおいて、容易に背後や側面をとられるからだ。

( どうにかしてこの状況を変えないと )

バックステップしつつ、マーズは背後に視線を送る。

そこでマーズは気づく。

迷路から広場に通じる道が、迷路の出口。

すなわち

広場から迷路に通じるのは、迷路の入口。

そう。

今なお、この結界の迷路は健在。ならば。

( あそこに逃げ込むことさえできれば……! )

身を潜めてダメージの回復をはかることができるはず。

追跡してくる敵を個々に撃破することも可能かもしれない。

ともかく時間を稼ぎ、結界内に到着している仲間たちのいずれかが、この中央広場に到着するまで持ちこたえることさえできれば……!

そう。あの迷路の向こう側には、頼るべき仲間たちがいるのだ。

忌まわしき迷路であるが、あそこに逃げ込むことで仲間との合流の可能性は高まるのだ。

一呼吸の間に考えを巡らせつつ、意を決してマーズは転身し、泥人形たちに背を向けて駆け出す。

この死地から逃れるべく。広場の周囲の林を目指して。

踏み出す。一歩を。

( みんなが来るのが先か )

そして走る。

( 私が力尽きてしまうのが先か。そこは賭けよっ )

自身の生存を賭けた闘争のための、逃走。
その覚悟を決める。

そして。

踏み出した右足が、不意にずぶりと地面に沈み込んだ。

(――足、がっ!?)

突如。
マーズの足元の地面が変容し、泥のぬかるみとなり。
赤いハイヒールごと足首まで飲み込んだ泥が蠢き。

やがて、見る見るうちに形を成していく。
マーズの足首を握りしめる、太く巨大な五本の指。

それは先刻倒したはずの泥の巨人の右手だった。

そしてそこを起点に。

右手だけでなく、腕と肩が地から現れ。
そして赤い要石の埋め込まれた頭部が生え出る。

泥の巨人に脚をつかまれ、捕獲されたマーズに向けて『おおい』と手を振りつつ。

結界人形が呼びかける。

「その泥の巨人は、もう死にかけだけどさ。強い雨のもとでは、体を再構築しつつ広場の土と同化して、潜航することができるんだ」

「さっき、きみが吹っ飛ばしたのは頭だけだろ?」

「あの後、地に伏して。復讐の機会を虎視眈々と狙っていたみたい」

と、一連の説明をした上で。

「……まぁ、さすがに卑怯だと思うかもしれないけど。そんなもんだよ、妖魔の戦いなんて」

などと、抜け抜けと言った。

「くっ! 離しなさ――あうっ!」

掴まれた足首を引っ張られ、尻餅をつくセーラーマーズ。

地面の感触を得たのも一瞬。すぐさま美少女戦士の身体は中空に引っ張り上げられ、急激な重力加速と共に振り下ろされた。

!!! ドォウン !!

「きゃああああああぁっ!」

広場を激震が揺るがす。

泥と雨水の飛沫を上げながら、背中から地面に叩きつけられたセーラーマーズ。

かはっ、という呻きと共に肺の酸素が押し出される。

「あぐっ……ぁ……あ……くっ、ああぁっ!」

巨人の恨みは一撃で晴れることはない。

再び振り上げられたマーズの身体。一瞬の浮遊感に引きつる悲鳴は、すぐさま恐怖に打ち震えたものに転じた。

!!! ドォオオン !!!

二度目の激震。

更に割れ広がり、大きく陥没した地面が衝撃の凄まじさを物語る。

力なく投げ出された両腕。泥に塗れた長い黒髪が放射状に広がる。

「……ぁっ……か、はっ……」

立て続けに背部を強打され、思うように呼吸ができない。
力なく投げ出された手足。呼吸すらままならない今、身動きなど取れるはずもない。

パクパクと無様に口を開閉する美少女戦士。見上げる曇天の空を、巨大な塊が覆い隠した。

泥の巨人の拳。
マーズの身の丈ほどもあろうかという泥の塊が、美少女戦士に絶望の影を落とす。

「……い、や…………や……め…………」

絶え絶えの息遣いで、必死に拒絶の言葉を紡ぐ。
無論、敗北者の嘆願など聞き届けられるはずもない。

振り下ろされる、報復の鉄槌。

迫りくる泥の塊が、セーラーマーズの視界を埋め尽くした。

更に勢いを増した吸生雨。
いくつもの水たまりが生まれ、繋がり、広場を侵食していく。

冠水し始めた広場の中心に、今宵の哀れな生贄の姿があった。

「…………くっ……う、あぁ…………」

か細い呻き声を漏らす炎のセーラー戦士。

白のロンググローブに包まれた両手は左右に広げられ、背後に立つかがむ巨人によって固く握り込まれている。

胸部を守るプロテクターは無残に砕かれ、時折、剥がれた破片が泥地に沈んでいった。

力なく垂れ下がる宙に浮いた両足は、拘束こそされていないが抵抗のそぶりは微塵もなく、時折、泥に汚れたハイヒールをピクリと痙攣させるだけだった。

Y字型に拘束された敗北の美少女戦士。

脱出を試み炎を生み出そうとするも、発火に至る前に両手からエナジーを簒奪され不発に終わってしまう。

全身を打つ吸生の雨。刻一刻と減衰していく体内のエナジー。

絶体絶命の状況下でセーラーマーズにできるのは、精神を集中してエナジーの流出を抑えることだけだった。

(セーラームーン…………みん、な…………)

微かな望み。きっと、今、この瞬間にでも。

四人の仲間たちが駆けつけてくれる。

( いや、さすがに……それはムシがいい話よね……でも……)

また、マーキュリーが策をめぐらせ。
ヴィーナスが機転を働かせ。
ジュピターが激怒する。

そんな、奇跡のような逆転劇もあるはずだ。

今は仲間を信じ、耐えるしかない。

まなじりを決するセーラーマーズの眼前に、結界人形が立つ。

「……や、セーラーマーズ。掴みかけていた勝利を逃した気分はどうだい?」

言葉とは裏腹に、さほど勝ち誇る様子もない。
油断なく自分を見据えつつ、ダメージの総量を図っている。

「……何の……つもり……?」

睨むマーズを前に、結界人形が答える。

「もし、今君を逃がしたらどうなるのかな、とか。どれくらい動けるのかな……とか。そんなことを考えている」

上機嫌そうに肩を揺らしつつ答え。無言を貫くマーズのご機嫌を取るように、笑った。

「……あれ、ちゃんと正直に答えたつもりだけど? あはははは」

そして、再び、マーズへと向き直り。
真面目な口調で言った。

「実は今、僕はちょっと困ったことになっている。ちょっと、僕の窮地を救うべく協力してくれないかな?」

マーズに対し、圧倒的に有利な立場にあるはずの結界人形が、ペコリと頭を下げた。

「……は?」

にわかに状況が理解できないマーズに、結界人形がぬけぬけと言う。

「あ、いやね。君はもう脅威じゃないけど、他のセーラー戦士達はまだまだ脅威でね?」

「そいつらが屋根付きの運動競技場の中に潜伏しちゃったんだなぁ、これが」

ここで、結界人形は『はあぁぁ』と溜息をつくようなそぶりで、嘆いてみせた。

「さらに! セーラーヴィーナスがクレセントビームで、園内の『目』である、カラスの使い魔を撃ち殺しまくっていてさ! 今は完全に、彼らを見失ったわけ!」

ブンブンとさも悔し気に、手を振り回しつつ。

「……で。ぼくは今、この『かつての肉体に近い人形』を構築するのに、リソースの大半を使っていてね。……まぁ、ありていに言うと、迷路内の魔法を起動できない」

「つまりは、今、この自然公園内での戦いは膠着状態になっているんだ

「特に脅威なのが、IQ300の天才少女 セーラーマーキュリー! 彼女にはなるべく時間を与えたくない 」

……話の展開が急すぎてどんな対応をしていいかわからない、という様子のマーズの前で、びっと人差し指を立てつつ。

「つまりは! まだ戦いは終わっていないんだ。だから、君が僕に勝利をもたらすために役立って欲しい!!!」

パンパンパンと手拍子をうちながら、結界人形は、ここにいない誰かを楽しませるように大きな声で説明を始めた。

「はいはい、ご注目ぅー! 『 僕が考えた、絶対にセーラー戦士に勝てる作戦』の説明会を開催いたしまーす」

楽し気に。楽し気に、囃し立てながら。
吊られて身動きできないマーズに向き直り、必勝の策を説明する。

「まず! この広場の入口に、凄く頑丈なバリケードを築きます! これは周囲の丸太を活用すればイケます! というか、既に万が一に備えて事前に用意してあります!」

「これは、しっかり組んで広場の外からは中が見えない状況にすることが肝要です!」

「そこに僕が防御魔法を流し、ちょっとやそっとでは壊れないくらい頑丈にします」

「そして! 今から、セーラーマーズをここにいる泥人形たちで痛めつけ! 悲鳴をあげさせ!」

「それをマイクで録音します!」

「それを音響スピーカーで自然公園全区画に放送し! 彼女たちに呼びかけます!」

「セーラーマーズの命が惜しくば!」

「とりあえず変身ヒロインは雨合羽は着ちゃ駄目!」

「助けに来るか来ないかは、各自の判断に任せます! 以上!」

そこまで説明をした上で、結界管理者はマーズの方を向き直り。

「……………………………………」

目の前で目を見開き、呆気に取られているセーラーマーズに対し。

「いや、大真面目だからね。僕」

そう言いつつ。

「あ、大前提としては。園内で降らすエナジードレインの雨の威力と濃度は、現時点での上限まで上げるわけだけど」

「そんな中、ホントに雨合羽を着ないで走ってくるのかなぁ、あの四人」

「友達の忠告を聞かずに負けた馬鹿な友達を、こんな馬鹿な脅迫に従う形で、助けにくるのかなぁ」

「IQ300の天才少女が、友情の前ではお馬鹿さんになっちゃうのか?」

「この思考実験を本気でしてみたいんだよ。僕」

そんな事を言う、結界人形を前に。

ようやくセーラーマーズは理解しつつあった。

目の前のこれは、道化の振りをした、とてつもなく邪悪な何かなのではないか、と。

雨の中、次々と空中に現れる転移魔法の魔法陣。
そこから突き出てくる集音機器の数々。

「ちょ、ちょっと待ちなさい! あなた、本気でこんなこと……」

吊り下げられたマーズの前で、いそいそとマイクなどの集音機器を設置する結界人形。

「ばかっ! ふざけるのもいいかげんに……!」

叫ぶマーズの前で。

不気味な笑みを浮かべた四体の泥人形が並び立つ。

子供ほどの背丈の小さな泥人形が、子供のようにケタケタと笑う。

そして。

そのうちの一体の泥人形がゆらりと右腕を持ち上げた。

人差し指を突き出し、マーズの右肩を指差す。

「なに、を…………っ、きゃあああああっ!」

右腕を貫いた鋭い痛みに、甲高い悲鳴を上げるセーラーマーズ。

腕に穴が空いたと錯覚するほどの鋭痛。
弾痕から滴る感覚は出血ではなく、飛散した泥が流れ落ちたもの。

たっぷりとセーラー戦士のエナジーを吸着した泥は、まるで体の一部であるかのような感覚を伴いながら垂れ落ちた。

右腕からごっそりと力が抜け落ちる感覚に、決意を固めたばかりの表情が青ざめていく。

そして。

! バシィッ !

二度目の衝撃。

「ひあぐっ!」

右腕に続き、左足に走った耐えがたい痛み。

「…………あ、あぁ……」

おずおずと視線を向ける。左の太ももには、放射状に散った泥の痕が残されていた。

吐き気を催すほどの痛みと虚脱感。
たった二発でこれほどの消耗を強いられてしまった。こんなものを――

(これ以上、撃たれたら…………撃たれて、しまった、ら…………)

恐る恐る顔を上げるマーズ。その視線の先、四体の泥人形たちは両腕を持ち上げこちらに指を向けていた。

「い……や…………やめな、さ…………やめ…………て…………」

思わず口にした拒絶には何の意味もなく。

!! ドッ !! ドッ !! ドッ !!

「きゃああああああぁああぁっ!!」

銃殺刑は無慈悲に執行された。

「ひあああっ! ああっ! くあああっ! きゃあああああっ!!」

突き出された八本の指、すなわち計八門の銃口が一斉に泥を吹く。

一発一発がスーツの防御を突破するに十分な威力を持つ泥の弾丸が間断なく放たれる。

雑多な照準、まばらな軌道で放たれた弾丸は、マーズの顔や腕、腹や足、至るところへ無差別に撃ち込まれた。

自身の力では身動き一つできない四肢が、着弾の衝撃によってでたらめに揺れ動く。

付着した泥はセーラーマーズのエナジーを吸い上げ、次弾の着弾によって飛び散っていった。

飛散するのは泥だけではない。泥に茶色く穢され、守護の力を損なったセーラースーツもまた被弾の衝撃に耐えきれず、赤と白の断片となって泥もろともに千切れ飛んでいく。

「きゃああっ! あうぅっ! あぐああぁっ! ひあああああああああっっ!」

途切れることのない弾幕。さもありなん、弾倉はこの広場の泥地そのもの。

足元の泥を汲み上げ、指先に装填し射出する無際限の砲火。

逸れた泥弾は、セーラーマーズを拘束する背後の巨人に取り込まれ同化し、その巨躯をより一層強靭に、その拘束を過剰なまでに強固なものにしていった。

!! ビキィ !!

「――ッ、きゃああああアアアアアアァアアッッ!」

大きく仰け反り、天を仰いだ哀れな受刑者の一際大きな悲鳴。

泥弾の一発が、セーラーマーズの胸元にあるブローチを直撃したのだ。

セーラー戦士のエナジーの源泉とも言える急所への被弾は、魂を削られたような痛みと喪失感を伴ってマーズを苛んだ。

その悲嘆を聞き逃さず、その苦悶を見逃さなかった泥人形たちは、不意に掃射を停止した。
互いに頷き合い、キキッ、という不吉な笑い声を上げると、一体の泥人形が両手を組んだ。

親指を立て人差し指を伸ばした、いわゆる指鉄砲の形。指の先端をマーズの胸元に定めて狙いをつけ、圧縮された泥弾を射出した。

!! パキィ  !!

「ひぎっ、ああああぁアアアァアアァッッッ!!」

再び撃ち込まれた急所への一撃。

瞳を見開き叫ぶマーズの悲鳴に、泥人形たちの歓声が重なる。

飛び跳ね、手を叩き、笑う。その光景は、新しい遊びを発見した子供そのものだった。

他の三体も両手で狙撃銃を作り、次々に射的を開始する。

「あああぁぁあっ! いやあぁあああっ! ひぎあぁっ! あああっあぁああぁアアアァァアッッ!」

着弾の度にビクンと痙攣する両足。
少しでも狙いをずらそうと、両腕を吊られた状態で懸命に身を捩る。

いじらしい抵抗もしかし、ブローチへの直撃は回避できたとて、マーズ自身への被弾は免れない。

それた弾丸がブローチを装飾するリボンを削り取り、胸を穿っていく。

「ひあああっ! あうっ! くっ、ぁがあっ…………ひああああああぁあぁっ!!」

動く的への命中精度を上げるため、ある者は人差し指の銃身を伸ばして弾道の安定を試み、またある者は、撃ち出す泥団を固く圧縮し、最適な弾頭形状を模索する。

無邪気な、それ故に容赦のない創意工夫。
泥人形たちは互いの攻略法を真似ながら、驚異的な学習能力でゲームの習熟度を上げていく。

精度の向上、弾速の上昇、弾道の安定。際限なく増大する破壊力。
ブローチに直撃した泥弾が弾け散り、マーズの頬へ返り血のように付着した。

炎の戦士の象徴たる朱色のブローチにベッタリと張り付いた泥。

幾重ものエナジー吸収と着弾の衝撃が、ついに決定的な戦果を上げる。

――パキンッ!

「――ッ、ひあああああああああアアアアァァァアアアッッ!!!」

朱色のブローチに入った亀裂。
エナジーの源泉である朱色のブローチ。その割れ目から、目視できるほどに大量のエナジーが赤く光る粒子となって飛沫を上げた。

まるで鮮血が吹き出したかのように凄惨な、それでいて美しい光景。

(エナジー……が……こぼれ、て…………ダメ……止められ、ない…………)

完全な敗北を決定づけられ、力なく項垂れるセーラーマーズ。

最後の一撃を見舞った泥人形が腕を上げ、勝利をアピールする。

だれが先にブローチを破壊できるか、泥人形たちはそんなルールを取り決めて射的に興じていたのかもしれない。

銃口を下ろし、腕を元の形態に戻すと、ケタケタと笑いながらマーズに近づいていく。

眉根を寄せ、苦しげに呻く美少女戦士を泥人形たちが取り囲む。

朦朧とした意識の中で、マーズはふと。

マーズは聴覚ではなく、霊感で。

何者かの声が意識の声を捉えた気がした。

―― 道化の時間は、これでおしまい ――

―― ああ、やっと今から僕も ――

―― 観客席から、今から始まる最高のショーを楽しめる ――

目が覚めたとき。

「はぁ、はぁ……く、あぁ……」

セーラーマーズ、苦しげな呼吸を繰り返している自分に気づいた。

依然、拘束されたまま身動きが取れないというのに、まるで全力疾走した後のような荒い息遣い。

額や頬、首筋に流れる水滴は雨水だけではなく、彼女が分泌した汗も多分に含まれる。

敗北の美少女戦士は、異常なまでの火照りと気だるさに苛まれていた。

ふと。気づく。
バチ バチ バチ と、屋根を叩く大きな雨粒の音が耳朶を打つのにもかかわらず。

( 何でだろう )

その雨が、この体を叩くことはない。

ゆっくりと周囲を見まわし。
今、自分は泥の巨人の腕によって拘束されているのではなく、屋根のある休憩所に場所を移されていることに気づいた。

先ほどまで自分を拘束していた泥の巨人は、今や完全にその機能を失い、少し離れた場所でうずくまったまま。

不格好な土のモニュメントのようになっている。

彼女を責め苛んでいた四体の小さな泥人形は、その周辺で所在無げに座り込んでいた。

「……あ……」

先ほどまでの激しい責め苦とはうって変わって、嘘のように静かな時間。

今、自分は……。
吊り下げられている。両腕を鎖で。

傍らに座っているのは、あの結界人形。

束の間の平穏。

セーラーマーズは、打ちひしがれて言った。

「……私の負け……なの?」

そう問うマーズに、結界の人形が答える。

「正直に言うと、わからない」

結界の人形は、落ち着いた口調で言った。

「君と僕との勝負で言えば、僕の勝ちはほぼ確定だと思う。でも、僕はまだ、この『魔雨の迷宮』でセーラー戦士に完全な勝利を収めた状態ではない」

不可解なことを結界の人形は言った。

「もうじき、来るよ。君の友達が。この雨の中」

「……え……?」

聞き返すマーズに、結界の人形が答える。

「四人が、雨をしのげる公園内の運動競技場を出たのが、今から30分前」

「君を救出すべく、今こちらに向かっている」

そう言って、セーラーマーズの方に向き直り。ふと。

「ねぇ、今、どんな気持ち?」

そんな事を言った。

「僕には、友達と言える人間がいない。だから、君が今、どんな気持ちでいるのかが理解できない」

泥人形の言葉に、一気に感情が爆発しそうになるマーズ。

「……そんなの……っ!?」

しかし、感情の昂ぶりが頂点に達しそうになった瞬間、マーズもまた

(あれ……?)

と言葉を失ってしまった。

今のこの気持ちをどう表現すればいいのだろう。

皆に対して申し訳ない気持ち。
ひたすら詫びたい気持ちと。

皆ならこの状況もどうにかしてくれる、
という期待感。希望。

そのマーズに対し、結界人形が広場の入口を指さす。

「ほら、もう来たよ」

入口に設置された、迷路と広場を分ける仕切りの壁。

丸太で組まれ、防御魔法が組まれたその壁の無効で。

バチィ、っと。何かが鳴った。

静かな中央広場に、響く弱弱しい電撃音。

「あれは……セーラージュピターだね」

結界人形が淡々と述べる。

「……マーキュリーは……うん、例の小型コンピューターで必死にこの防御魔法を解析しようとしている」

「でも、さすがに。消耗しきっている。あの顔じゃ、もう頭がよく働いてないみたい」

結界人形がふと、興味深そうな顔をする。

「 はは、ヴィーナスのクレセントビームはこんな使い方ができるのか。扉を焼き切ろうと一生懸命、横なぎにしてるね」

「でもあれ、エネルギー消費は凄く激しい技なんじゃないかな……。たぶん、この分だとジュピターより先に倒れてしまうだろうな」

「この分だと、ムーンが一番の役立たずかも。なんか、一生懸命になって周辺の大きな石を拾っているよ。あれで、何ができると思っているんだか」

そんな結界人形の言葉に、マーズは蒼白になる。

「……来ているの? あの扉の向こうに? みんなが?」

そう問うマーズに。

結界人形は、ああごめん、といった素振りで、手元に魔力を凝縮した。

「ああ、説明が遅かったね。今、この中央広場と、その外のスペースは防音魔法の壁で区切っているんだ」

「今、それを解除してみせようか」

突如。

マーズの耳を、甲高い絶叫が叩く。
聞き覚えのない少女の悲鳴が。

「――ッ、ひあああああああああアアアアァァァアアアッッ!!!」

自然公園内の全てのスピーカーが響かせる、地獄のような絶叫。

「「「ひぎっ、ああああぁアアアァアアァッッッ!!」」

「「ひあああっ! あうっ! くっ、ぁがあっ…………ひああああああぁあぁっ!!」」

一瞬。
マーズはそれが何かわからなかった。

「「あああぁぁあっ! いやあぁあああっ! ひぎあぁっ! あああっあぁああぁアアアァァアッッ!」」

これは一体、誰の声だろう。
そんな事を考えた。

そして。

「……うん、やっぱ。そうだよね。自分の声ってわからないもんだよね」

思考を停止しかけていた自分に語りかける結界人形の言葉に、ようやく我に帰った。

「ほら、先ほど。君があの四体の泥人形に銃殺拷問を受けていたときの音を、もうかれこれ30分ほど流しているわけだけど……」

「既に幾度もリピートしているから……。四人のうち、誰かが録音したものだと気づいていても、おかしくないのだけどね」

淡々と。何の高揚もなく。

むしろ、少し疲れたような様子で、頬杖をつきながらベンチに座って解説をする結界人形。

それらの言葉の意味を、だんだんと理解し。
事の理解が、目の前の現実に追いついたとき。

「いやぁあああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」

ようやく、マーズは自分の喉が、この響き渡る少女の悲鳴を吹き出していることに気づいた。

マーズは叫ぶ。

「何よぉっ! なにやってのよ、あんた達はぁああっ!!??」

ただただ叫ぶ。

「こんな馬鹿な話ってある! 私がっ! ただひたすら頭に血がのぼって、勝手に自滅しただけなのにッ!!」

「なんであなたたちまで、自殺行為みたいなことをしてるのよぉっ!?」

「すぐに引き返しなさいよぉっ! すぐに! すぐに引き返しなさいったらあぁあああ!」

この広場の入口の、開かない扉の向こうで今もなお必死に扉に必殺技を放っている仲間たちに、涙ながらに叫ぶ。

「頼むから! 頼むから! 私、あなた達との絆よりも! ただ自分の力で得た勝利に酔いたかっただけの、本当にどうしようもない馬鹿だから!」

「ただの自分勝手なの! ワガママなの! 私は! あなた達が命をかける価値なんかない……」

そこで、言葉が詰まる。

「ただの……ただの……」

そして、認める。
自分を愛してくれる人達に背を向けて、ただ自分の欲しいものを求めようとした自分は……。

きっと……。

「人でなしなんだからぁああああああ!」

マーズは嗚咽しながら、自分を責めるしかない。

マーズは泣く。

悔いる。

(なんで、私はこの結末を予測できなかったのだろう)

(いや、容易に予測できるはずの最悪の未来を、どうして見ようとしなかったのだろう)

……きっと。

この最悪の結末を考えてしまったならば。

『 私が本当に欲しい勝利 』を求める勇気を持つことができなかった。

この期におよんで、なお。

『 勝利 』を求めた自分は、本当に。

認めよう。

『 人でなし 』 なのだ。

結界人形が、気だるげに語り続ける。

「つまり、そういうこと。もう、どうやら僕の勝ちは決定なんだ」

「もともと、誰かひとりを捕まえて、その悲鳴を自然公園内の音響施設から大音響で流し続けて。……そうやって、残りのメンバーを引きずり出す」

「かつて、僕は。そんな目的で」

「この『魔雨の迷宮』を君たちセーラー戦士と敵対する妖魔の軍団、ダークキングダムの連中に提案してたんだ」

「そのアイデアを気に入った四天王のひとりが、『完成させてみろ』と僕に依頼したんだよ 」

そこまで、語ってから。

その結界人形は、心底疲れた様子で首を振った。

「でも、何もかも。何もかも思い通りに事が進んだのに、さ」

「今、僕は。『ああ、これ、つまんないな』って思っている」

「ねぇ、わかる? この気持ち? 『寝食を忘れて』とか『身を削って』とか、そんな言葉が馬鹿らしくなるくらいの、僕はその結界作りに没頭したのに」

「僕は肉体すら失っちゃうほど、この迷宮を完成させるべく打ち込んだのに」

「……何なんだろうね? このやがて『勝利』の瞬間が訪れるであろう、今。僕は何の興奮も感じない……。むしろ、退屈な感じさえして……」

その結界人形の言葉に、ふと。

マーズは気づいた。

ああ、なんだ。こいつも。
私と同じか。

今なお、自分が欲しい勝利の形にこだわるこいつもまた、私と同様。

ああ、そうか。
なぜか、気が合っちゃったんだ。

この妖魔とは。

自分の肉体をそのまま『作品』にしちゃうほどのお馬鹿さん。

さっきの道化ぶりも、『彼にとってはひとつの作品づくり』のために必要な事だとしたら。

今、わたしが仲間たちの命を救うためにできることは。

この妖魔に対して、できることは。
きっと。

謝罪や懇願ではなく。

『挑発』だ。

今、この妖魔の関心を四人の仲間たちではなく、私に向けることだ。

「……あ、あははははは…………」

マーズは笑った。泣きながら、笑った。

そして、語りかける。

自分の横に座って、広場の入口の向こう側でただただ消耗していくセーラー戦士達の姿を、使い魔の目を通して見ている結界の人形へ。

「いざ、目の前に……『勝利』を掴みつつあるのに……退屈だとか……どうとか……」

ん、と。
自分の方に向く結界人形の顔に。

精一杯の侮蔑の笑顔で、語りかけた。

「ああ、よかった。私より、馬鹿なコがいて良かった。……少しは救われる気持ちになった」

マーズの言葉を受け、しばし沈黙の後。

「どういう意味?」

と問い返す、結界の人形にマーズは答える。

「 本当に欲しいものを間違えたまま、意地の張りどころと頑張り方を間違えちゃうなんて……お馬鹿さんそのものじゃない?」

マーズは笑う。

「つまりね、あなたが本当にしたかった事はきっと。自分の目の前で。自分の手で。人間を弄ぶことだったの。……なのに……、あはははは」

笑う。笑う。

「……あはっ……あはははははは」

「よその誰かのために、一生懸命大道具を作って! そっちに夢中になっているうちに、自分の体をなくしちゃうなんて! ああ、本当に馬鹿だなぁって! ……思っちゃった」

今なお響く『録音された自分の絶叫』に耳を聞きながら、マーズは楽しそうに笑う。

「私なんか……ほらっ! 負けた結果、こんなに凄い目にあっているのに! 退屈なんか絶対できないくらい大変なことになってるのに! このコはある意味、私より可哀そうなんだなぁ……って。あははははははっ!」

今や、必殺技の声も聞こえなくなった4人のセーラ戦士が向こう側にいる扉の方を少し見たあと。

結界の人形は、手に魔力を集め。
ぱちりと指を鳴らした。

とたんに、園内のすべてのマーズの絶叫が止まる。

そして、扉の方を指さして言った。

「ほら、もう声も聞こえなくなってる。皆、意識を失ってしまっているんだろうね」

「ねぇ、セーラーマーズ。あの友達に対して、さっきから一度も謝罪の言葉を聞いてないのだけど。…どうして?」

その言葉が、マーズの胸をえぐる。
深く深く、血が出そうなほどにえぐる。

「あはっ、あははははは! そんなのっ、そんなの決まっているじゃない!」

けれど、マーズは笑うのだ。

自分が、この破壊と狂乱を良しとして挑んだ戦いの果てに、得たもののために。

すなわち。『破滅』のために。

「……そんなの……そんなのっ、私があのコたちを本当は友達だと思っていないからに……決まっているじゃない」

結界人形が、理解に苦しむと首を傾げる。

「セーラーマーズ、君はずいぶんとひどい人なんだね」

マーズが答える。

「……へぇ? そうかもね。だとしたら、どうしたい?」

結界人形が答える。

「罰を与えたいよね」

マーズが笑う。

「うん、いいよ。でも。条件がある」

「いっぱいいっぱい泣いてあげるからさ。苦しんで死んでみせるからさ。あの退屈な四人は、とっととあっちの世界にポイしちゃってくれないかな」

結界人形が、興味を示す。

「……どういう意味?」

わかんないかなー、という仕草で。
マーズは答えた。

「あの世でも、あの四人と友達ごっこするとか。まっぴらだもん。……だからね、このまま四人をポイしちゃってよ」

結界人形も、ここにきてようやく。
マーズの意図を悟ったのか。頷く。

「……うん、そうだね。四人のセーラー戦士は、このまま退場だ」

そうして、あはははは、と。

結界人形も笑った。

大きく道化のように手を広げ、ここにはいない誰かのために頭を下げる。

「神様。人の破滅、を見たがる神様。
絶叫、熱狂、哀願、恥辱、凌辱。
様々な人の業が好きで好きで仕方がない、
もうどうしようもない邪悪な神様たち」

「この物語にお付き合いいただきたく。精一杯、道化を演じてみましたが。興味を引くべく、あれこれとさせていただいましたが。
今宵はどうにも力不足でありました。ですが、いつか。また。挽回してみせましょう」

「そのときは、自分の肉体を取り戻し。
おのれの有りようをも取り戻し。
名もなき人形ではなく、妖魔の貴顕として」

「皆さまのご期待に、必ず答えてみせることをお約束いたします」
その、ただただおぞましい言葉の内容に。

セーラーマーズは大きく息を溜息を吐いた。

「……ああ、やだなぁ……。
いっぱいいっぱい泣いてあげるとか。苦しんで死んでみせるとか。あんな約束、しなきゃよかったなぁ」

再び。

降り注ぐエナジードレインの雨の下に、セーラーマーズを引き立て。
マーズを拘束する鎖を、広場に打った杭につなぎ、結界人形が笑う。

「……というわけで。
四人のセーラー戦士は、エナジーを使い果たして変身が解けていたから。

ただの人間で遊んでも面白くないし。

転送魔法でもとの世界、始まりの自然公園の入口に送り飛ばしたわけだけど。

それでいいのかな?」

精一杯の笑顔で、マーズも笑う。

「……うん。それでいい」

ブローチの破損によってエナジーの制御が効かなくなった今、もはやその流出を抑えることができなくなっていた。

大きな亀裂が入ったとはいえ、胸のブローチは今なお形を保っている。

セーラー戦士の変身は解除されたわけではない。

今なお、ブローチの亀裂から陽炎のように揺らめきながら漏れ出る火星の戦士の赤いエナジー。

常人を遥かに上回るエナジーを保有しながら、無抵抗に垂れ流している状態だ。

「精一杯、苦しんで死んでみせる、とか。強がっていいたけど。本当にその覚悟はあるのかなぁ?」

笑う結界人形が、パチンと指を鳴らすと。

それまで所在無げにしていた、四匹の小さな泥人形達はとたんに何かを取り戻したようにマーズに近づいていく。

「ぅ……くっ」

マーズの顔が恐怖に染まる。

鎖につながれ、体の各所からエナジーを垂れ流しているセーラー戦士。

泥人形たちにとって、これほど都合のいいエサはない。

歩み寄る泥人形たち。

「……や…やっぱり……嫌よっ、こんなの……、この…、近寄らないで!」

右足で蹴りを放つセーラーマーズ。

かがり火のような闘志が見せた最後の抵抗。

突き出されたヒールの踵を難なく受け止めた泥人形は、笑みに歪む口から長い舌を伸ばすと、マーズの足に擦り付けた。

「ひっ!? あぁ……あああああぁっ!?」

赤いハイヒールに包まれた爪先から、くるぶし、すね、そして太ももへ、ゆっくりと舌が這う。

おぞましさとエナジー吸収の虚脱感に、戦士らしからぬ悲鳴を漏らしてしまうセーラーマーズ。

四体の泥人形の後ろから、食い入るように眺めている結界人形。

その結界人形が、マーズが予想もしなかった言葉を投げかけた。

「ああ、ところで。セーラーマーズ。今、君を嬲っている連中だけど。実はそいつら、もともとは人間なんだ。
連続殺人鬼とか、強姦魔とか。
そういうどうしようもない連中の魂から無駄な記憶だけ抜いて、『人間を嬲りたい』という欲求だけは残しておいたんだ」

「………そん……な……っ……!?」

驚愕するマーズ。

結界人形はそれをみて満足そうに頷く。

「ちゃんと、そいつらの血肉をなるべく多く練り込んだ、僕の自信作でね。
材料比率にして『肉7:泥3』くらいの割合でさ。……つまり、何が言いたいかというと……」

フルフルと首を振るセーラーマーズの反応を確かめつつ。

結界人形はゆっくりと、かみ砕くように、一言一言を確かめるように言った。

「 見ず知らずの人でも、誰かにとって、大切な人。そんな人達の日々の営みを守る、正義の味方……だっけ?」

「…う……く……」

必死で結界人形を睨みつけるマーズだが、もはやその目には力がなかった。

「今、君の脚を舐め嬲っている化け物たちは、生きているころもそんな事をするのが大好きな連中でさぁ……」

結界人形の言葉に、悪意が満ちていく。

「だけどね、セーラーマーズ。君の美しい理想を、その連中相手にも是非、発揮して欲しいんだよね。その連中のためにどんな『愛と正義』を発揮できるのか、是非とも見せて欲しい!」

「こ、この……ふざけるのも、たいがいに……、あひぁあああっ」

必死になって言い返そうとするマーズだが、すぐに裏返った悲鳴をあげてしまう。

砂利のように細かい凹凸が並んだ舌が朱色のスカートを押しのけて侵入してきたのだ。

白のレオタードに包まれた腰まで舐め上げたところで折り返すと、また足先へ這い進んでいく。

舌を振り解こうと力を込めるも、残された力では微動だにできず、太ももに収縮した筋肉がわずかに浮かび上がるだけだった。

同じく強張りピンと伸びた左足を、もう一体の泥人形が掴み取る。
左足のハイヒールを無理矢理脱がすと、素足になった爪先にしゃぶりついた。

「ひああああぁぁあぁあっ!!」

泥人形の口腔内で弄ばれる五本の指。
指列を薙ぐように舌を這わせたかと思えば、今度は指一本一本をねぶり上げ、極上のエナジーを吸い出していく。

「あああぁっ! やめ、てっああああぁあぁっ! 私、のエナジー、が、あぁ……いやっ、いやああああぁあっ!」

舐められる指が移り変わる度、黒髪を振り乱して悲鳴を上げるセーラーマーズ。

二体の泥人形のエナジードレインは、降り注ぐ吸生雨による消耗とは比べ物にならないほど苛烈だった。

舌が蠕動し、泥人形たちの喉がゴクリと鳴る度、目眩がするほどの虚脱感に見舞われる。
大きく反り返った背筋。突き出された両胸。

順番を待つもう二体の泥人形が、待ちきれないと言わんばかりに美少女戦士の上半身に飛びかかった。

「ひっ! いやあっ、はな、してぇっ! ひあああああっ!」

一体の泥人形が、背部からおんぶの要領で組み付き、もう一体が左腰部にしがみついた。
背後から伸びた舌が、首筋から右肩、腕にかけてを舐め回す。
前方の泥人形は大きく開いた口で左胸にしゃぶりついた。

「あぅっ! ああっ! ひあっ! だめっ! だめぇっ! ふああああぁあっ!」

四重のエナジードレインに、引きつった悲鳴を上げるセーラーマーズ。

両腕を横断する舌の感触。形よい左胸はいいように弄ばれ、歪にこね回される。
示し合わせたかのように乳首と脇を同時に責められれば、溶けた悲鳴がマーズの口から溢れ出した。

苛烈極まる吸生に、割れたブローチの朱色がまるで寿命間近な電灯のように薄く色を失っていく。

「あああっ、ああぁっ! もう、やめ、てぇっ!」

絶望と悔しさに流した涙も雨に混じり、エナジーと共に流れ落ちていく。

月のプリンセスの守護者として大きく成長するはずだった大器。
そこに満ち満ちた可能性の原資たる潜在エナジーが、汚泥の中に消えていく。

最上級の供物を前に底なしの食欲を見せる泥人形たち。

突如。
その肉体が赤く発光し膨張を始めた。

そして。それを待ち構えていたように、マーズの体にまとわりついていた四体の小さな泥人形たちは互いに顔を寄せて笑い。

やがて、いそいそとマーズの体から離れていく。

そして彼らはマーズの前に横一列に並び。
そしてそのまま動かなくなった。

「……え…?」

ようやく。ようやく満足したのか。それとも……。

泥人形たちの意図をはかりかねるマーズ。

しかし、たとえ一時であっても耐えがたい責め苦からの開放されたことも確かだ。

マーズは思わず胸をなでおろした。

「……はっ……、はぁっ……はぁあ……ふぅうう……」

思い出したかのように、呼吸を大きく吐き、そして吸い。

受けたダメージからの回復を図るマーズ。

今なお、広場に打たれた二本の杭に両腕を吊られる形で拘束を強いられるマーズ。
鎖はマーズを捕らえ、彼女は宙に吊られたまま。

つまり……今、マーズはしばしながらも休息がとれている。

ならば。今は願うしかない。

( お願い……このまま……このまま大人しくしていて )

動かなくなった泥人形たちが、再び動き出すことがないことを。

そんな虜囚となり果てた少女戦士の眼前で。

突如。四体の泥人形達の体がボコボコと隆起し、そして溶け崩れ始める。

( ……ひっ…!? )

何が起きたのか。
思わず身をすくませるマーズ。

泥人形の身体は、崩れながらも隣り合う人形と混ざり合い。
四体の泥人形は二つの、不気味に蠢く泥塊となり。

そして、時おりピクピクと震えながらも、やがてそれぞれが二つの赤く光る石を埋め込んだ奇怪なオブジェとして並び立ち。そのまま動かなくなった。

つい先ほどまで旺盛な食欲を見せながら。
今はただ、時どきピクピクと脈打つだけの泥の塊になり果ててしまった、かつて泥人形だった者たち。

いったいこれはどういうことか。
先ほどまでの地獄のような責め苦は、結局のところ何かしたかったのか。

眼前の、自分を嬲ることをやめて動かなくなった者たちを、マーズは茫然とした様子で見守るしかできなかった。

 

突如。

マーズをYの字型に吊り下げて拘束していた鎖が、消える。その傍らに立つのは、空間転移魔法を駆使する結界人形。

「もう鎖をいらないんだ。今から次なるステージが始まるからね。セーラーマーズ」

マーズの両腕を拘束していた鎖が消え、そのまま開放される形で。
マーズは力の入らぬ脚のまま崩れ落ち、そのままべちゃり、と足元の泥の水だまりへと倒れこむ。

「あぅっ」

脱力した体ではまともに受け身を取れず、したたかに地面に胸を打ち付けて声をあげるマーズ。

結界人形の言う『次なるステージ』の意味をにわかには理解できず、地に伏せたまま人形を見上げるしかない。

「……ま、まって……あと少しだけ……休ませ……」

恐怖でうわずった声をあげるマーズに、にっこり笑いかける結界人形。

「…うぁ……、い、やぁっ……」

無理だ。
やっぱり嫌だ。

なぜ、自分はあの時。

『私に何をしたい?』

などと。

『あの退屈な四人のセーラー戦士達よりも、私の方がいいでしょう?』

などと。恰好つけてしまったのだろう。

目前に迫る『本当の破滅』の予感。

「あ……ぁあああ」

……ずりっ……ずり……

たまらず、マーズは這う。

怯えながら、ちらちらと視線を送る。
今なお、グニャグニャと変容を見せている二つの異様な泥の塊。そこから、ときどき赤やピンクの膜があたかも地肌のようにのぞく。

その不気味さ。おぞましさ。
とても言葉で掲揚できない。

あれほど凶悪で変質的な、四体の泥人形が合わさって出来たこの肉塊のような泥の山。

そこから生まれるものとは、いったいどれほど恐ろしいものなのか。

「……やっ、……駄目……やっぱり……だめ……」

明らかな涙声で、這うマーズ。

もはや足腰立たないほどに消耗しきった体では、泥と水たまりの中を芋虫のように這いずって逃れるしかできないのだ。

そんな、地に落ちた炎の戦士をあざ笑うように。
結界人形は軽やかな声をかける。

「ちょっと、ちょっと。どこ行くのさ?」

「仲間たち4人の命と引き換えに、僕を楽しませてくれるんでしょ? ここに来て恰好悪いとこ、見せないでよ」

「……や、……あれは……無理……絶対……」

頭が理解しようとしていない。

かろうじて体を起き上がらせるも、もはや足腰が立つこともままならない敗北の少女戦士。

冷静かつ明晰だったその頭脳の冴えは、もはや見る影もない。

旺盛な食欲を見せていた『幼体』が、
『蛹』(さなぎ)のように動かなくなった後は。
そののちに生まれるのは『成体』であることを。

予想しようとしていない。想像しようとしていない。

否。
無意識ながらも、思考を拒否していた。

理解することなどできなかった。

自分のエナジーを吸い取った化け物たちが、どのような力を得るかなど。

「…もういやぁっ! いやっ、いやぁああっ!」

まるで駄々をこねる幼女のように、マーズは首を振る。

「……お願い、それを……止めて……っ!」

恐怖の対象である二つの泥の塊から目を逸らせないまま、悲痛の声をあげる。

そんな敗北の少女戦士の眼前で。
その乞い願う許しを、あざ笑うかのように。

今、再び。

二つの泥の塊が、ボコボコと動き出す。
見る見るうちに二メートルほどもある高さまで育ち。

そして。

そのまま、人の形を作っていく。

「……あ、あぁぁ……」

もはや茫然と、破滅的な状況を見守るしかないマーズの前で。

ふたつの二体の泥人形は、怪物として『完成』した。

敗北したセーラーマーズに、破滅をもたらす怪物として。

新生した二体の泥人形。その威容に言葉を失うマーズ。

高く伸びた体長。
四肢はたくましい筋骨で覆われ、その表皮は”主原料”の性質を受け継いだ赤土色に変じていた。

顔面には赤い石が二つ眼球のように並び、その下に幼少期の名残である三日月型の笑みを浮かべている。

全身から漲る妖気。
セーラーマーズがこれまで対峙してきたどの妖魔よりも強く、濃く、禍々しいオーラ。

そしてマーズの恐怖をより一層煽るモノが、泥人形の下腹部にあった。

(……なに……これ……)

股間から伸びる太く長い泥の大筒。

“それ”が、何なのかわからないほどマーズは幼くなかった。
しかし今目の前にある物体は、マーズの知りうる知識と想像を絶して余りあるスケールと異様で彼女を威圧する。

「……ぃ、や…………いやあっ……」

首を振り、身を捩り、足掻くセーラーマーズ。

迫り来る末路に唇と声は震え、眉根を寄せて引きつる表情はもはや戦士のそれではなかった。

「あ、ああぁあ、やぁああ……やぁああ」

ついに怯えるマーズの背後に回り込んだ、その巨躯の泥人形が腕を伸ばす。

マーズの腕を掴む。

そして。

「ひああぁっ! あっ……ああぁっ! ひぎぃぃっ!」

がっしりとした掌が左右の乳房に食い込む。

両胸を力任せに鷲掴みされ、悲痛な叫びを上げる美少女戦士。

間髪入れず、泥人形の両手が炯々と赤熱し始めた。

「あぁっ!? あつ、いぃっ! やめ”て”っ”! あづいぃ”っ”! あ”づい”い”い”ぃ”ぃ”ぃ”っ”!!」

焼きごてと化した十本の指が、マーズの胸を焼き焦がす。

マーズの言葉に、結界人形が上機嫌で答えた。

「うん! わかるよね! 何が起きているのか」

「セーラーマーズの炎のエナジーを吸収したことによって、この泥人形は新たな特性を獲得しているんだよ。『炎熱』を操る力を、ね」

結界人形は、ケタケタと笑い始めた。

「あははは! うん! だんだん楽しくなってきた! セーラーマーズ、有難う! 君のおかげだよ! 凄く凄く、楽しくなってきた!」

しっかりとマーズの長い髪を掴み、乱暴に引っ張り。

たまらず声を上げるマーズの顔の覗き込む。

「ねぇねぇ、今どんな気持ち? 他ならぬ自身の力によって、炎の戦士のセーラースーツが焼き焦がされていくのはどんな気持ちなんだい?」

「いあ、あづぃいいいいいっ! あぎぃいいいいいいいっ」

屈辱的な問いかけにも、悲鳴で答えるしかない炎の美少女戦士。

そんなマーズの頬を、結界人形が容赦なく叩く。

「ちゃんとやり遂げろよ、この馬鹿女!
『悔しいです』とか『みじめです』とか、そういう言葉を神様たちは期待してるってのに!」

そして。

絶望的な言葉を口にする。

「ねぇ? 僕が? ホントに?
あの四人をちゃんと現世に送り返したと信じているの? 本当に信じていいのかなぁ!?」

地獄の苦しみの中で、その言葉の意味に青ざめるマーズ。

「ほらほらほらほら、言うんだよ! 気の利いた言葉を! 僕の機嫌を損ねないためにもね!」

ついに。
マーズは口にする。

決定的な敗北の言葉を。

「あぎぃ……ああ……、私のっ、負けです……」

「……ひぎっ、ぃあ、勝利なんか、もういりませんから……、もう格好つけたりしませんからぁ……」

「……セーラ……戦士も、もう……やめま………」

その言葉とともに。

泥人形の赤く熱せられた両手によって、マーズの胸のプロテクターはその白さを失い、黄色く変色し、バラバラと劣化した厚紙のように崩れ千切れていく。

「あははは! 馬鹿な女だけど、オッパイの形は悪くないかも!」

完全に露わになってしまう両の乳房。
戦士である前に少女であるセーラーマーズが受ける、羞恥の洗礼。

「……やぁ……あぁあ……ぁぁ……あああああ……」

「やだなぁ、さっきまでの威勢はどうしたのさ? 仲間を窮地に陥れた責任を取る、みたいな事言っていたのに。いっぱい苦しんでみせるとか、さぁ?」

最後の最後まで、仲間を守ろうと張った虚勢も今はなく。

「もぅ……やめてっぇえええ! あんなの、あんなの……ただの……」

ただ、マーズは泣く。

重ねられる結界人形の言葉。

「ざまぁみろ! あの四人も君のことには愛想をつかしているだろうさ!」

「もとの世界に戻っても、君無しで楽しくやっていくってば!」

その言葉の意味を、痛苦の中で確かめるマーズ。

( ……約束……守って…くれ…)

( でも……やっぱり…、みんなに嫌われるのは……哀しい……よ……)

大きな安堵と喪失の感情。

しかし、それにまさる文字通り身を焼かれるほどの痛苦と恐怖が、そのような感傷を塗りつぶす。

「……あぎっ?」

もう一体の巨躯の人形もその両手を赤熱化させ、この炎熱の責め苦に参加してきたのだ。

マーズの尻に食い込む、新たなる十本の焼きごて。

「……ぎゃやぁああああああああああああああああああああああああっ」

精神と肉体の痛み、それらが完全な調和でブレンドされた絶叫が、吸精の魔雨が振りしきる自然公園に響き渡る。

自身がこれまで存分に振るってきた炎の力。セーラー戦士となって初めて味わう炎熱の苦しみに、マーズはあらん限りの悲鳴を張り上げた。

仰け反り、天を仰ぐマーズ。

その顎を掴み、前方の泥人形がマーズの唇に狙いを定める。

「むぐぅっ! っん、ふっ……んぁ……」

押し付けられた泥人形の口がマーズの唇を包み込む。

鼻腔を満たす死臭のような泥臭さと唇に感じるおぞましさ。

目を見開き、ぐぐもった悲鳴を漏らすマーズ。

口を結んで必死に抵抗する様を楽しみながら、泥人形は少女の弾力に富む唇をねちねちと食み、舌を這わせていく。

「んんっ! んくっ、ぅううっ!」

眉根を寄せるマーズの瞳に涙が滲んだ。

( まだ私……ちゃんと好きな人と……キスもしてないのに…… )

セーラー戦士としての仮面を剥がされていく少女に追い打ちをかけるべく、背後の泥人形がすかさず次の手に出る。

両胸を焼き焦がしていた人差し指の先端を細く、鋭く変形させると、双丘の頂点でひっそりと立つ二つの突起に差し込んだ。

「ひぎぁああああああアアアアッッ!? ぁんっ、ぐっ! んンンっ!!」

未だ熱を帯びる極小の針を乳首に突き刺され、たまらず悲鳴を上げるセーラーマーズ。

その隙に泥の舌がずるりと入り込み、瞬く間に口腔を占拠した。

舌は自在に伸縮し、形を変え、マーズの舌を難なく絡め取る。

乳首と口の二点からマーズの体内へ侵攻を果たした二体の泥人形は、同時にエナジーの吸引を開始した。

「――ッ! ンンンッッッッ!!」

目尻から滔々と涙を流し、塞がれた口から籠もった苦悶を上げるセーラーマーズ。

乳首から、口腔から、枯渇寸前のエナジーが吸い上げられていく。

「あはははは! いいね! いいね!
いっぱい泣いて! いっぱい苦しんで! 君は死んでいく! ……なんだ、ちゃんとやればできるじゃないか、セーラーマーズ!」

泥人形の腕と喉にはそれぞれ血管のような筋が浮かび上がり、嚥下されていくエナジーがドクドクと脈を打つ。

グラスの底に残ったジュースをストローで吸い上げるような、徹底的で執拗なエナジードレイン。

吸引による脱力感で漂白された意識が、苦痛で塗りつぶされる。

既に戦うためのエナジーは底をついている。今吸い上げられているのは、生命維持に不可欠な命の源そのもの。

火野レイという存在そのものが、刻一刻と希薄化していく。

「ンッッ! ――ンンッッ! ッッ!! ッッ!!!」

ビクビクと痙攣し、白目を剥いて悶絶するセーラーマーズ。

「 さて! お前たち! そろそろ仕上げだ! ハイライトだ!」

上機嫌で結界人形が、再び道化のように跳ねる。

「 もうわかっているよね! デカブツども!

“体内から吸引することで、より純度の高いエナジーを効率よく摂取できる”

これが、大事なポイントだ!」

結界人形の言葉に、頷く巨躯の泥人形達。

マーズのエナジーを吸い取り『巨躯の双生児』として新生した、二体の泥人形。

生まれ変わって早々に、邪淫の学びを得た彼らは新た責め苦をマーズに与えるべく、示し合わせたかのように三日月の形をした口を大きく開き。

先端が針のように尖ったおぞましい形状の、赤子の腕ほどもある長さの『舌』を。

マーズの眼前に、見せつけるように口から伸ばしてみせた。

「 名残惜しいが、今宵の宴も終りが近い。次なる吸引にて、この最上級の供物を余すことなく味わい尽くすがいい!」

セーラーマーズの巨躯の泥人形の回りを、跳ねて回る結界人形。

額の赤石を妖しく光らせ、マーズの正面に立つ泥人形は股間に聳える怒張をマーズの股下に潜らせた。

左の膝裏を持ち上げ半開脚の体勢を取らせる。

顕になったレオタードの先端。僅かに盛り上がった分け目を磨り上げながら、じっくりと狙いを定め――

一息に、刺し貫いた。

「――ッン”ン”ア”ア”ァ”ア”ァ”ア”ァ”ア”ッ”ッ”ッ”!!」

レオタードごと純潔を突き破った泥の肉棒。
ボロボロと涙を零し、唇を塞がれたまま半狂乱の呻きを上げるマーズ。

それは消えかけた蝋燭の最後の灯火に似た、生を渇望する叫びだった。

「ンッ! ン”ン”ン”ッ! ン”グァ”ァ”ッ!」

剛直が繰り出すピストンに、なすがまま揺さぶられる四肢。

自在に変形する泥の肉棒は、少女の膣を打ち付けると同時に先端から新たな泥を噴射した。

泥はすぐさま固まり、肉棒の一部となってその版図を広げていく。
それは、生殖の体を装った捕食行為。
より深く、より内奥へ。

最後の吸生を完全甘美なものとするべく、泥の肉棒は切削の勢いを増し突き進む。

「――ッ、ぃぎ……ンアァッ……ン、ぁ……」

背後の泥人形が、もう一つの侵入口に肉棒をあてがい、ねじ込む。

細く狭い菊門が無理矢理こじ開けられ、泥の塊が突き込まれていく。

もはやセーラーマーズには、絶叫を上げるだけの力すら残されていなかった。

か細い喘ぎを漏らし、光を失った瞳から涙を流すことしかできない。

汚泥に体内を蹂躙されたセーラー戦士に、遂に最期の瞬間が訪れる。

二体の泥人形は呼吸を合わせ、同時に最後のエナジードレインを開始した。

「ッッ! ン”――――ッ! ――――ッ! ――――――――――――ッッ!」

ビクン、と大きく痙攣した背筋。
二度、三度と痙攣を繰り返すたび、振幅は小さくなり、やがて微かな呻きと共にその動きを止めた。

灰色に変色したブローチが粉々に砕け、マーズの全身を淡い光の帯が包み込む。

光の残滓と共にスーツが失われ、裸体を晒すレイ。

二本の肉棒が引き抜かれ、両胸と口、そして両手も開放される。
支えを失ったレイの肢体が泥の地面に倒れ込んだ。

「……ぅ……ぁ……」

すべてを奪われた少女は、かすれた呻きを漏らしながら、泥に塗れた腕を懸命に伸ばす。

(……う……さぎ…………みん……な……)

脳裏によぎる仲間たちの笑顔。

仲間たちの元に帰りたい。

その一心が、生命力の枯れ果てた身体を僅かに動かす。

手の伸ばす。夜空へ向かって。

惨めな足掻きを嘲笑うかのように、頭上から降り注ぐ汚泥。

ビチビチと。男の精液のように。

バシャバシャと。小便のように。

少女を見下ろす三体の泥人形の手から零れ落ちていく泥の流体が、レイの四肢に纏わりついていく。

「……ぁ……ぁ……」

飲み込まれていく身体。埋もれていく視界。
伸ばした手は何も掴むことはなく。

正義と使命に燃えた美少女戦士の魂は、泥の海に沈んでいった。

■ ■

……痛かったなぁ……

…つらかったなぁ……

でも、いいや。

もう今は、ただ、眠いだけ。

……だから、まどろみの中で……

少しだけ、つらいときの

自分を褒めてみたりもする……

きっと……

私は、間違っていたんだけど……

でも、それでも勝ちたかったんだ……

私の宿命の星は……

破壊と狂乱、の戦争の神様の星……

みんなとの勉強会で、それを知って……

全然、正義の味方っぽくなくて
少し悔しかったけれど……

でもね、きっとその

破壊と狂乱の果てにある勝利は

ほかの
どんな勝利よりも大きな勝利なのだと思う……

寂しくても……

凄く凄く誇らしい勝利……

そのすぐ横には、

それと同じくらい大きな
『 破滅 』があるとはわかっていたけれど……

それでも私は、勝ちたかったんだ……

ならば、受け入れよう

この『 破滅 』を……

戦いに挑んだ誇らしさを胸に……
私はただ……

誇らしく……眠るの……

 

■■   ■■

「……あ、レイちゃんが起きたよ!」

「レイちゃん! レイちゃん 大丈夫!?
痛かったら無理しないでね! 起き上がらなくていいのよ」

………
…………。

あれ……ここは……

「病院だよ、レイちゃん! もう三日も寝ていたんだよ!」

ん……んん?

「だから、病院だってば!」

「覚えてないの? あのとき、レイちゃんは一人であの結界に飛び込んで行ったの」

「そして、一人であの危ない雨を止めにいったの!」

……う、うん……

そこは覚えている……けど……

「その後ね、気持ち悪い四匹の泥人形に滅多打ちにされてね!」

うん、大丈夫。そこも覚えている。

「レイちゃん大ピーンチってとこに、私たち四人が登場!」

……え?

「あっとういまにそいつらを蹴散らして、レイちゃんを救出!」

……は……はぁ……?

「レイちゃんを四体の泥の妖魔に殴らせて、大笑いしていたすっごい不細工なカエルみたいな妖魔も、返す刀でぶっ飛ばすジュピター!」

…………???

「そのまま最後の力をふり絞ったレイちゃんとともに、私たちはセーラーテレポートで大脱出!」

「反省してます、置いていかないで、破滅してしまいます、とか言っているなんか気持ち悪い色した人形もいたけど……」

「……何だったんだろね、あれ?」

「さぁ?」

…………。
………………。

あ、……そっか……

これは、つまり……

……

なら……

……ちゃんと……

言わなきゃ……
……
……

ね、みんな聞いて。

私ね、あの四体の妖魔にイジメられて……

その後もね、

もっと怖い大きな二体の妖魔にも
すごくひどい目に遭わされる夢をみたの……

でね……

もう、私、セーラー戦士を続けられないんじゃないか、って……予感がある……

怖いんだ……
今はただただ、暴力が怖いの……

だから、
セーラー戦士じゃなくなっちゃった私は、
もうみんなの友達ではいられないから……

だから……ごめんね……

もう私、みんなの友達の資格はないんだ……

……
……本当に、ごめんなさい……

「レイちゃん!」

……はい。

「寝なさい!」

「なんかもう、聞いてられないよ!」

「そもそも、さ。セーラー戦士じゃなくなったら、なんで友達じゃなくなっちゃうのさ?」

……え、だって……

「逆の事、言われたらレイちゃんはどう思うのさ?」

……え、そりゃぁ……

そんなの、違うって、……言うわよ……
当たり前じゃない……
ケガして気が弱くなっていることもあるし……
仮に戦えなくなっても、友達は友達だよ
当然じゃない!

『友達の資格』がどーのこーの言い出したら、
たとえベッドに寝ていても、ほっぺのひとつも
張ってやるかもね…

『目を覚ませ! このお馬鹿さん!』

とか言って……

「ねぇ、レイちゃん……そういうとこだよ?」

……
……ん? んん……??
……
…………

「どうしてこう……、変に突っ走っちゃうかなぁ?」

「思い込みの激しいとこあるよね……」

でも……でもでも!
夢の中で私は!

みんなのこと嫉妬したり!

すごい迷惑をかけたのに
ちゃんと謝ったりしなかったり……

だから、だから

自分勝手なヤツなの!

そういうところを、ちゃんと謝らなくていけなくて……

「もういいから寝なさい!」

「そんなの誰にでもあるよ!」

「怒るよ、もう!」

「……雨振っても血は固まる、って言うじゃない。今は寝て休むべし!」

……。

……うん。

あ、でも美奈子ちゃん……

「うん?」

当分は雨の話は勘弁して……ね………

はは……

「明日もお見舞いにくるから!」

「レイちゃん、またね!」

「またね!」

「じゃあね、ばいばい!」

……。
…………。

ありがとう、みんな……

……

ああ、なんて……
素敵な……友達なのだろう……

……

私は手を伸ばす

みんなに……
精一杯、手を伸ばして言うのだ……

「みんな、ありがとう……またね……」

手を伸ばした先には、降り注ぐ雨の夜空。

……ばしゃっ!

…ビチャビチャビチャ!

際限なく降りそそぐ、死臭の汚泥。
精液のようにべったりとしたものによって、次々と。

白い体が汚されていく。

ばたり、と手が地面に倒れる。

そこにもまた、汚泥が降り注ぎ。

ただ汚されて、泥に埋まるだけの体。

それでも。

火野レイの亡骸の口元には、
微笑みの残滓があった……

■ FIN ■

________

「……あれ……
なんか、変な夢、見ていたなぁ……

悪い神様にちゃんと見てもらいたいとか、
道化がどうのとか……

わけのわからないこと言って……

僕らしくもない……」

肉色の、その人形は。

結界の中で、徐々に。

過去の記憶を、明確にしていく。

傍らの、炎の少女の亡骸に一瞥をくれつつ。

「ああ、でも。
この少女のおかげで、だいぶ
エナジーは補給できたみたい……」

手に握った、四つの赤い石。
足元には、巨躯の泥人形の頭が転がっている。

「ああ、でも。
いったい何があったんだろうね?
どうも記憶がはっきりしないや」

ううん、どうしたものか。
そもそも、ここはどこだろう。

お腹も空いているし。

結界の外に散歩にいくついでに、
何か食べた方がいいかも……

……うん、そうしよう

くすり、と笑う。

ああ、またひとつ思い出した。

「僕の名前は……ラトラナジュだ…」

ルビーのような赤い輝きの妖気を放ちながら、
その妖魔の少年は少女の亡骸に手を触れる。

「……いい素材だ……」

「……ん……、いいね……」

「これの脳に残る記憶を辿れば
何か面白いことができるかも……」

■ FIN 2 ■

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